・・・吐き出す呼気が凍って、防寒帽の房々した毛に、それが霜のようにかたまりついた。 彼等は、家庭の温かさと、情味とに飢え渇していた。西伯利亜へ来てから何年になるだろう。まだ二年ばかりだ。しかし、もう十年も家を離れ、内地を離れているような気がし・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・舞台の右端から流れだす義太夫音楽の呼気がかからなければ決してあれだけの効果を生ずることはできないのはもちろんである。それかといって、人形の演技は決してこの音楽のただの伴奏ではなくて、聴覚的音楽に対する視覚的音楽の対位法であり、立派な合奏であ・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
・・・はじめには負傷者の床の上で一枚の獣皮を頭から被って俯伏しになっているが、やがてぶるぶると大きくふるえ出す、やがてむっくり起上がって、まるで猛獣の吼えるような声を出したりまた不思議な嘯くような呼気音を立てたりする。この巫女の所作にもどこか我邦・・・ 寺田寅彦 「映画雑感6[#「6」はローマ数字、1-13-26]」
・・・面をかぶるとこの焦げ臭いにおいがいっそうひどい、そうして自分のはき出す呼気で面の内側が湿って来ると魚膠のにおいやら浅草紙のにおいやらといっしょになって実に胸の悪い臭気をかもし出すのであった。五十年後の今日でもありありこの臭気を思い出すことが・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・ホヤの中にほうっと呼気を吹き込んでおいて棒きれの先に丸めた新聞紙できゅうきゅうと音をさせて拭くのであった。 その頃では神棚の燈明を点すのにマッチは汚れがあるというのでわざわざ燧で火を切り出し、先ずホクチに点火しておいてさらに附け木を燃や・・・ 寺田寅彦 「追憶の冬夜」
・・・ ガラス面に水滴の着く事に関してはいわゆる「呼気像」の問題として従来多少の研究があった。特に近来の表面化学の進歩につれてかなりまで解答の糸口が得られかかったようではある。しかし具体的の諸問題について追究すべき事がらはまだ非常に多い。私の・・・ 寺田寅彦 「日常身辺の物理的諸問題」
出典:青空文庫