・・・何かわからない言葉で喋った。唾液をとばしている様子で、褪めた唇の両端に白く唾がたまっていた。「なんて言ったの」姉がこんなに訊いた。すると隣のよその人も彼の顔を見た。彼は閉口してしまった。 印度人は席へ下りて立会人を物色している。一人・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・彼は唾液を出して、のどを湿そうとしたが、その唾液が出てきなかった。雪の上に倒れて休みたかった。「どうしたんだ?」 中隊長は腹立たしげに眼に角立てた。「道が、どうしても、」松木は息切れがして、つづけてものを云うことが出来なかった。・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・それは口を大きくあいて舌を上あごにくっつけておいて舌の下面の両側から唾液を小さな二条の噴水のごとく噴出するという芸当であった。口から外へ十センチメートルほどもこの噴水を飛ばせるのはみごとなものであった。一種のグロテスクな獣性を帯びたこの芸当・・・ 寺田寅彦 「相撲」
・・・しかし非常な能弁家で、彼の舌の先から唾液を容赦なく我輩の顔面に吹きかけて話し立てる時などは滔々滾々として惜い時間を遠慮なく人に潰させて毫も気の毒だと思わぬくらいの善人かつ雄弁家である。この善人にして雄弁家なるベッジパードンは倫敦に生れながら・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
出典:青空文庫