・・・「もう一度わたくしはお願い致します。善行賞はお取り上げになっても仕かたはありません。」 下士は俄に顔を挙げ、こう甲板士官に話しかけた。K中尉は思わず彼を見上げ、薄暗い彼の顔の上に何か真剣な表情を感じた。しかし快活な甲板士官はやはり両・・・ 芥川竜之介 「三つの窓」
・・・「わるい善行って言葉も、あるわよ。」 浴場のながい階段を、一段、一段、ゆっくりゆっくり上る毎に、よい悪事、わるい善行、よい悪事、わるい善行、よい悪事、わるい善行、……。 芸者をひとり、よんだ。「私たち、ふたりで居ると、心中しそう・・・ 太宰治 「秋風記」
・・・枯木も山の賑わいというところだったのだが、それが激賞されるほどの善行であったとは全く思いもかけない事であった。私は、みんなを、あざむいているような気がして、浅間しくてたまらなかった。査閲からの帰り路も、誰にも顔を合せられないような肩身のせま・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・聖グレゴリーも、善行について同様な意見であることを述べているようじゃ。」と、しみじみ気を腐らし、歎息をもらしている。ウエークフィルドの牧師ほどの高徳の人物でさえ、そうである。いわんや私のごとき、無徳無才の貧書生は、世評を決して無視できない筈・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・ これでも、善行という事になるのだろうか、たまらねえ。私は唐突にヴァレリイの或る言葉を思い出し、さらに、たまらなくなりました。 もし、私のその時の行いが俗物どもから、多少でも優しい仕草と見られたとしたら、私はヴァレリイにどんなに軽蔑・・・ 太宰治 「美男子と煙草」
・・・ 五 善行日と悪行日 ある日新聞を見ていると妙な広告が眼についた。「サーモンデー」と大きな字で印刷してある。何かの説教でもあるかと思ってよく見ると、それは Sermon でなくて Salmon day であった。鮭・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 罪悪と反対な人間の善行に関する記事もまれには見受けるが、それがひとたび新聞記事となって現われると不思議にその善い事の「中味」が抜けてしまって、妙にいやな気持ちの悪い「輪郭」だけになっている場合がかなり多いように思われる。そういう種類の・・・ 寺田寅彦 「一つの思考実験」
・・・同情を表すべき善行をかきながら、同情を表してはならぬと禁じたのがこの作であります。いくら真相を穿つにしても、善の理想をこう害しては、私には賛成できません。もう一つ例を挙げます。今度はゾラ君の番であります。御爺さんが年の違った若い御嫁さんを貰・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・死ねば天堂へ行かれる、未来は雨蛙といっしょに蓮の葉に往生ができるから、この世で善行をしようという下卑た考と一般の論法で、それよりもなお一層陋劣な考だ。国を立つ前五六年の間にはこんな下等な考は起さなかった。ただ現在に活動しただ現在に義務をつく・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・また道徳の課にいたりては、特別に何主義を限らず、ただ教師朋友相互の責善談話をもって根本となし、その読むところの書は人々の随意に任じ、嘉言善行の実をしておのずから塾窓の中に盛ならしむるを勉むるのみ。 かくの如くして多年の成跡を見るに、幾百・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
出典:青空文庫