・・・兵事課じゃ、何か悪いことでもあったかと吃驚したそうでござえんすがね、何々然云う訳じゃねえ、其小野某と云う者の家に、大瀬上等兵の親御がある筈だ、その老人に逢わしてくれと云うんで、その時そのお二方は、手前とこまでお訪ね下すったが、私は外へ出てい・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・ちガラ/\ツとひきこみしは、たしかに二人乗の人力車、根津の廓からの流丸ならずば権君御持参の高帽子、と女中はてん/″\に浮立つゝ、貯蓄のイラツシヤイを惜気もなく異韻一斉さらけだして、急ぎいでむかへて二度吃驚、男は純然たる山だし書生。」云々・・・ 永井荷風 「上野」
・・・と一人が喫驚したようにいった。「どうした」「何だ」 罪を犯した彼等は等しく耳を欹てた。其一人は頻りに帯のあたりを探って居る。「何だ」「どうした」 他のものは又等しく折返して聞いた。「銭入どうかしっちゃった」・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・やベルを鳴したり手を挙げたり、そんな面倒な事をする余裕はこの際少しもなきにおいてをやだ、ここにおいてかこのダンマリ転換を遂行するのも余にとっては万やむをえざるに出たもので、余のあとにくっついて来た男が吃驚して落車したのもまた無理のないところ・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・僕は二十八歳の時に、初めてドストイェフスキイの小説『白痴』をよんで吃驚した。というのは、その小説の主人公である白痴の貴族が、丁度その僕と同じ精神変質者であったからだ。白痴の主人公は、愛情の昂奮に駆られた時、不意に対手の頭を擲ろうとする衝動が・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・ 彼は喫驚すると同時に安心した。「俺は商人だよ」「そうかい? 何しろ、此車にゃスパイが二十人も乗ってるんだからな。俺はまたお前もそうかと思ったよ」「どうしてだい?」 だが彼は今度はびっくりした。「ナアに、俺た・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・一切の事情をば問わずして、ただ喫驚の余りに、日本の紳士は下郎なりと放言し去ることならん。君らは斯る評論を被りて、果たして愧ずる所なきか。 西洋諸国の上流紳士学者の集会に談笑自在なるも、果たして君らの如き醜語を放って憚らざるものあるか、我・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・(間何をそんなに吃驚するのだ。家来。申上げても嘘だといっておしまいなさいましょう。(半ば独言ははあ、あの離座敷に隠れておったわい。主人。誰が。家来。何だかわたくしも存じません。厭らしい奴が大勢でございます。主人。乞食かい。・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・手許を熱心に眺め、口の中に唾を出していた一太は喫驚して母親を引張った。「あらあら、おっかちゃん、大きくなって来たよ、これ」「ほら大きくなるぞ……大きくなるぞ」 小さかった白い餅のようなものは、もりもりもりもりと拡って、箸でやっと・・・ 宮本百合子 「一太と母」
・・・フィンクは吃驚して気分がはっきりした。そして糞と云った。その声が思ったより高く一間の中に響き渡ると、返事をするようにどの隅からもうめきや、寝返りの音や、長椅子のぎいぎい鳴る音や、たわいもない囈語が聞える。 フィンクは暫くぼんやり立ってい・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
出典:青空文庫