・・・同時にまた思わず噴飯した。とにかく脚を動かす時には一層細心に注意しなければならぬ。……」 しかし同僚を瞞着するよりも常子の疑惑を避けることは遥かに困難に富んでいたらしい。半三郎は彼の日記の中に絶えずこの困難を痛嘆している。「七月×日・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・年内の御重宝九星売が、恵方の方へ突伏して、けたけたと堪らなそうに噴飯したれば、苦虫と呼ばれた歯磨屋が、うンふンと鼻で笑う。声が一所で、同音に、もぐらもちが昇天しようと、水道の鉄管を躍り抜けそうな響きで、片側一条、夜が鳴って、哄と云う。時なら・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・と一坐が噴飯だした。「イヤ笑いごとじゃアないよ」と上村は少し躍起になって、「例えてみればそんなものなんで、理想に従がえば芋ばかし喰っていなきゃアならない。ことによると馬鈴薯も喰えないことになる。諸君は牛肉と馬鈴薯とどっちが可い?」・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・ 甲乙は噴飯して、申し合したように湯衣に着かえて浴場に逃げだして了った。 少女は神崎の捨てた石を拾って、百日紅の樹に倚りかかって、西の山の端に沈む夕日を眺めながら小声で唱歌をうたっている。 又た少女の室では父と思しき品格よき四十・・・ 国木田独歩 「恋を恋する人」
・・・亭主、さらば一升まいらせむ、食いたまえと云う。その面つきいと真面目なれば逃げんとしたれども、ふと思い付きて、まず殻をとりてたまわれと答えける。亭主噴飯して、さてさておかしきことを云う人よと云う。おかしさはこれのみならず、余は今日二時間ばかり・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・夫婦の間とはいえ男はさすが狼狙えて、女房の笑うに我からも噴飯ながら衣類を着る時、酒屋の丁稚、「ヘイお内室ここへ置きます、お豆腐は流しへ置きますよ。と徳利と味噌漉を置いて行くは、此家の内儀にいいつけられたるなるべし。「さあ、お前は・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・そこで古風の人がタマに当今の人に其の御茶壺の話を仕て聞かせると、誰も噴飯して笑うので有りますが、当今の紳士の旅行の状態を見ると、余り贅沢過ぎて何の事は無い、つまり御茶壺になって歩いて居るのだ、と或人が評を仕ましたのを聞いて、甚だおかしいと思・・・ 幸田露伴 「旅行の今昔」
・・・ 熊吉は往来で姉の風体を眺めて、子供のように噴飯したいような顔付を見せたが、やがて連立って出掛けた。町で行逢う人達はおげんの方を振返り振返りしては、いずれも首を傾げて行った。それを知る度におげんはある哀しい快感をさえ味わった。漠然とした・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・馬鹿なことです。噴飯ものだ。口真似するのさえ、いまわしい。たいへんな事を言う奴だ。あの人は、狂ったのです。まだそのほかに、饑饉があるの、地震が起るの、星は空より堕ち、月は光を放たず、地に満つ人の死骸のまわりに、それをついばむ鷲が集るの、人は・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・したのですが、私はあの有名な小鹿様などとは違って、毎日自分の身一つをもてあまして暮しているのを、その代表のお方に見破られているのでございますから、いまさら都合がどうのこうのと、もったい振っても、それは噴飯ものでございましょうし、また、私のよ・・・ 太宰治 「男女同権」
出典:青空文庫