・・・ この島は周囲三十里余の島だが、そこに四国八十八カ所になぞらえた島四国八十八カ所の霊場がある。山の洞窟や、部落のなかや、原に八十八の寺や、庵があるのである。 毎年二月半ばから四月五月にかけて但馬、美作、備前、讃岐あたりから多くの遍路・・・ 黒島伝治 「海賊と遍路」
・・・が、この頃、私の地方の島で四国の遍路に巡る一日五六百人から千人近くの人々にも外米は評判が悪い。路々ぶつ/\小言を云いながら通って行くのを私も二三耳にした。そんな連中が、飲食店に内地米の稲荷ずしでも売っているのを見つけようものなら、忽ち売切れ・・・ 黒島伝治 「外米と農民」
・・・でさえ、四国地方に育った者や、九州地方に育った者が、自分の眼で見、肉体で感じた農村と、「土」の農村とを思いくらべて異っていることに気づく。「土」には極めて僅のことが精細に書かれているにすぎないことを感じるのである。日本人がロシア文学を読んで・・・ 黒島伝治 「農民文学の問題」
・・・大内は西国の大大名で有った上、四国中国九州諸方から京洛への要衝の地であったから、政治上交通上経済上に大発達を遂げて愈々殷賑を加えた。大内は西方智識の所有者であったから歟、堺の住民が外国と交商して其智識を移し得たからである歟、我邦の城は孑然と・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・だいいち、ご身分が凄い。四国の或る殿様の別家の、大谷男爵の次男で、いまは不身持のため勘当せられているが、いまに父の男爵が死ねば、長男と二人で、財産をわける事になっている。頭がよくて、天才、というものだ。二十一で本を書いて、それが石川啄木とい・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・その他は、四国にも九州にもいまのところ見当らぬそうで、箱根サンショウウオというのが関東地方に棲息して居りますけれども、あれはまた全く違った構造を持っているもので、せいぜい蠑いもりくらいの大きさでありまして、それ以上は大きくなりませぬ。日本の・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・それから私は五年間四国、九州と渡り歩き、めっきり老け込んでしまいました。そうしてしだいに私は軽んぜられ、六年振りでまた東京へ舞い戻った時には、あまり変り果てた自分の身のなりゆきに、つい自己嫌悪しちゃいましたわ。東京へ帰って来てからは私はただ・・・ 太宰治 「貨幣」
・・・という雑誌は、ご承知の如く、仙台の河北新報社から発行せられて、それは勿論、関東関西四国九州の店頭にも姿をあらわしているに違いありませぬが、しかし、この雑誌のおもな読者はやはり東北地方、しかも仙台附近に最も多いのではないかと推量されます。・・・ 太宰治 「たずねびと」
・・・東京辺と四国の南側の海岸とでは満潮の時刻は一時間くらいしか違わないし、満干の高さもそんなに違いませんが、四国の南側とその北側とでは満潮の時刻は大変に違って、ところによっては六時間も違い一方の満潮の時に他の方は干潮になる事もあります。また、内・・・ 寺田寅彦 「瀬戸内海の潮と潮流」
・・・ 最近に坪井博士はその著『我が国民国語の曙』において四国の地名についても多少の考証をしておられる。それは主として、チャム、モン、クメール、マラヨポリネシア系の言語によって解釈を試みておられる。しかし自分の見るところでは、アイヌ語らしい地・・・ 寺田寅彦 「土佐の地名」
出典:青空文庫