・・・それ所か、国籍さえわからないんだ。女房持か、独り者か――そんな事は勿論、尋くだけ、野暮さ。可笑しいだろう。いくら片恋だって、あんまり莫迦げている。僕たちが若竹へ通った時分だって、よしんば語り物は知らなかろうが、先方は日本人で、芸名昇菊くらい・・・ 芥川竜之介 「片恋」
・・・その間に生まれた母であるから、国籍は北にあっても、南方の血が多かった。維新の際南部藩が朝敵にまわったため、母は十二、三から流離の苦を嘗めて、結婚前には東京でお針の賃仕事をしていたということである。こうして若い時から世の辛酸を嘗めつくしたため・・・ 有島武郎 「私の父と母」
・・・そして、レオナドその人は国籍もなく一定の住所もなく、きのうは味方、きょうは敵国のため、ただ労働神聖の主義をもって、その科学的な多能多才の応ずるところ、築城、建築、設計、発明、彫刻、絵画など――ことに絵画はかれをして後世永久の名を残さしめた物・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・卒業後彼をどこかの大学の助手にでも世話しようとする者もあったが、国籍や人種の問題が邪魔になって思わしい口が得られなかった。しかし家庭の経済は楽でなかったから、ともかくも自分で働いて食わなければならないので、シャフハウゼンやベルンで私教師を勤・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・ 一八四五年にカールは、ベルギー政府とプロシヤ政府連合の追放政策から自身を守るためにプロシヤの国籍から離脱した。故郷なき一家となった。優しい夫であったカールは、二人の幼な子をもつイエニーとこのことについてもよく話しあったことだろう。カー・・・ 宮本百合子 「カール・マルクスとその夫人」
・・・そこに集った革命的作家の国籍の数だけ言葉数があった。が、一つの瞬間、そういう言葉の差別は急に溶けて一かたまりの焔のような歌声に盛りあがった。それは、これらの人々が、――インターナショナルとともに!と歌ったときだった。 ハリコフに・・・ 宮本百合子 「ソヴェト文壇の現状」
・・・自分達の死んだ後、けれども、国籍をも持たぬ子孫は、どこで、どうやって生きるであろうか。彼等の生活も、自分達二親の生活がそうであるように、苔のように根のついたところで、根を切られぬ限り、その日その日つづいていくのであろう。然し、自分達の墓のあ・・・ 宮本百合子 「街」
出典:青空文庫