・・・ この五色で満身を飾り立ったインコ夫人が後に沼南の外遊不在中、沼南の名誉に泥を塗ったのは当時の新聞の三面種ともなったので誰も知ってる。今日これを繰返しても決して沼南の徳を累する事はあるまい。徳を累するどころか、この家庭の破綻を処理した沼・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・「知っているとも、先刻倉蔵が先生の手紙を持って来たが、不在中家の事を托むと書いてあった」と村長は夜具から頭ばかり出して話している。大津の婚礼に招ねかれたが風邪をひいて出ることが出来ず、寝ていたのである。「どういう理由で急に上京したの・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・然し後年、左様私が二十一歳の時、旅から帰って見たら、足掛三年ばかりの不在中に一家悉く一時耶蘇教になったものですから、年久しく堅く仕付けられた習慣も廃されて仕舞って、毎朝の務も私を限りに終りました。こういう家庭のありさまでしたから、近来私の一・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・という軍人専用の煙草を百本とにかく、百本在中という紙包とかえられて、私はその大尉のズボンのポケットに無雑作にねじ込まれ、その夜、まちはずれの薄汚い小料理屋の二階へお供をするという事になりました。大尉はひどい酒飲みでした。葡萄酒のブランデーと・・・ 太宰治 「貨幣」
・・・その原稿在中の重い封筒を、うむと決意して、投函する。ポストの底に、ことり、と幽かな音がする。それっきりである。まずい作品であったのだ。表面は、どうにか気取って正直の身振りを示しながらも、その底には卑屈な妥協の汚い虫が、うじゃうじゃ住んでいる・・・ 太宰治 「乞食学生」
出典:青空文庫