・・・笑うべく均衡されたその情景のなかから、女の児の気持だけがにわかに押し寄せて来たのです。「こんな御行儀の悪いことをして。わたしははずかしい」 私は笑えなくなってしまいました。前晩の寐不足のため変に心が誘われ易く、物に即し易くなっていたので・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・それはなにか均衡のとれない不自然な連鎖であった。そんなことは起りはしなかったと否定するものがあれば自分も信じてしまいそうな気がした。 自分、自分の意識というもの、そして世界というものが、焦点を外れて泳ぎ出して行くような気持に自分は捕らえ・・・ 梶井基次郎 「路上」
・・・これが顔の線と巧みに均衡を保ってそのためにかえって複雑な音楽的の美しさを高調している。懐月堂のふくれた顔の線は彼の人物の体躯全体としての線や、衣服のふくらみの曲線となって至るところに分布されて豊かな美しさを見せている。 次に重要なものは・・・ 寺田寅彦 「浮世絵の曲線」
・・・手でも足でも思い切り自由に伸ばしたり縮めたりしてはね回っているけれども、その運動の均衡が実に安定であって、非常によくバランスのとれた何かの複雑なエンジンの運転を見ているような不思議な快感がある。 二人の呼吸が実によく合っている。そこから・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(※[#ローマ数字7、1-13-27])」
・・・ 内分泌の病的異常が情緒の動きに異常な影響を及ぼす一方で、外的な精神的の刺激が内分泌の均衡に異常を生じうることも知られているようである。映画の場合でも、官能の窓から入り込む生理的刺激が一度心理的に翻訳された後にさらにそれが生理的に反応す・・・ 寺田寅彦 「映画と生理」
・・・自然界ではこのように、利己がすなわち利他であるようにうまく仕組まれた天の配剤、自然の均衡といったようなものの例が非常に多いようである。よく考えてみると人間の場合でも、各自が完全に自己を保存するように努力さえしていれば結局はすべての他のものの・・・ 寺田寅彦 「沓掛より」
・・・そしてこの上もない恥曝しな所行であったが、それだけ私の頭が均衡を失っていたという証拠にはなる。 警官の話によるとこの頃電車では鋏穴の検査を特に厳重にしているらしいという事である。そして車掌の方では鋏穴ばかりを注目するのだから止むを得ない・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・器械全体の大きさに対してなんとなく均衡を失して醜い不安な外観を呈するものである。一寸法師が尨大なメガフォーンをさしあげてどなっているような感じがある。これが菊咲き朝顔のように彩色されたのなどになるといっそう恐ろしい物に見えるのである。 ・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・満州侵略に着手した田中義一の内閣に外交官であった吉田茂が、この減刑運動を、国内の民主勢力にたいする一つの均衡物として利用しようとするなら、それは一つの国際的な民主主義にたいする罪悪であるとおもう。 三 こう・・・ 宮本百合子 「新しい潮」
・・・こんなまとまりのない、二重三重の不均衡でがたぴし、民族の隷属がむき出されているありさまが、わたしたち日本人の文化の本質だというのだろうか。 戦時中の反動で、しきりに教養だの文化だのと求めながら、わたしたちは必要なだけの真面目さで今日の文・・・ 宮本百合子 「偽りのない文化を」
出典:青空文庫