・・・きっとまた御隣の別荘の坊ちゃんが、悪戯をなすったのでございますよ。」「いいえ、御隣の坊ちゃんなんぞじゃなくってよ。何だか見た事があるような――そうそう、いつか婆やと長谷へ行った時に、私たちの後をついて来た、あの鳥打帽をかぶっている、若い・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・と間もなくもう一人の女中が、慌しく襖を開けたと思うとこれも、色を失った顔を見せて、「御隠居様、――坊ちゃんが――御隠居様。」と、震え声で呼び立てました。勿論この女中の「坊ちゃんが――」は、お栄の耳にも明かに、茂作の容態の変った事を知らせる力・・・ 芥川竜之介 「黒衣聖母」
・・・「坊ちゃん、これを御存知ですか?」 つうやは彼を顧みながら、人通りの少い道の上を指した。土埃の乾いた道の上にはかなり太い線が一すじ、薄うすと向うへ走っている。保吉は前にも道の上にこう云う線を見たような気がした。しかし今もその時のよう・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・おまけに青あおした芝生には、幸いお嬢さんや坊ちゃんもボオル投げをして遊んでいます。それを見た白の嬉しさは何と云えば好いのでしょう? 白は尻尾を振りながら、一足飛びにそこへ飛んで行きました。「お嬢さん! 坊ちゃん! 今日は犬殺しに遇いまし・・・ 芥川竜之介 「白」
・・・「そうかい、此家は広いから、また迷児にでもなってると悪い、可愛い坊ちゃんなんだから。」とぴたりと帯に手を当てると、帯しめの金金具が、指の中でパチリと鳴る。 先刻から、ぞくぞくして、ちりけ元は水のような老番頭、思いの外、女客の恐れぬを・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・はい、……あの、嬢ちゃん坊ちゃんの事でござりましょう、部屋に居りますでございますよ。」 三「嬢ちゃん坊ちゃん。」 と先生はちょっと口の裡で繰返したが、直ぐにその意味を知って頷いた。今年九歳になる、校内第一の綺・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・――雪の中を跣足で歩行く事は、都会の坊ちゃんや嬢さんが吃驚なさるような、冷いものでないだけは取柄です。ズボリと踏込んだ一息の間は、冷さ骨髄に徹するのですが、勢よく歩行いているうちには温くなります、ほかほかするくらいです。 やがて、六七町・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・更に突飛なのは、六十のお婆さんまでが牛に牽かれて善光寺詣りで娘と一緒にダンスの稽古に出掛け、お爨どんまでが夜業の雑巾刺を止めにして坊ちゃんやお嬢さんを先生に「イット、イズ、エ、ドッグ」を初めた。 いよいよ出でて益々突飛なるは新学の林大学・・・ 内田魯庵 「四十年前」
フットボールは、あまり坊ちゃんや、お嬢さんたちが、乱暴に取り扱いなさるので、弱りきっていました。どうせ、踏んだり、蹴ったりされるものではありましたけれども、すこしは、自分の身になって考えてみてくれてもいいと思ったのであります。 し・・・ 小川未明 「あるまりの一生」
・・・そこへ坊ちゃんが入ってくると、おっかけまわったりして、へやのうちを騒ぎます。しかし、じきに二人は、仲よくなって、暖炉の前に腰をかけて、チョコレートやネーブルを食べながらお話をします。 夜になると、華やかな電燈が、へやの中を昼間のように明・・・ 小川未明 「煙突と柳」
出典:青空文庫