・・・聞きゃ一人息子が兵隊になってるというじゃねえか、おおかた戦争にも出るんだろう、そんなことなら黙っていないで、どしどし言い籠めて隙あ潰さした埋め合わせに、酒代でもふんだくってやればいいに」「ええ、めっそうな、しかし申しわけのためばかりに、・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・分けまえどころか、おまえから昨日の分けまえをもらわなけりゃ、埋め合わせがつかない。それがいやなら、この宿からさっさと外へ出てゆけ。」と、怖ろしい目つきをしてにらみました。 少年は、ついにその宿から追い出されてしまいました。暗い夜路をあて・・・ 小川未明 「石をのせた車」
・・・なお、この男を分会長にいただいている気の毒な分会員達は二週間の訓練の間、毎日の如く愚劣な、そしてその埋め合せといわんばかりに長ったらしい殺人的演説を聴かされて、一斉に食欲がなくなったそうである。この話を聴いた時、私は鼻血は出たけれど大工の演・・・ 織田作之助 「髪」
・・・ 面白いほどはやり、婆さんははばかりに立つ暇もないとこぼしたので、儲けの分を増してやることにして埋め合せをつけるなど、気をつかいながら、狭山で四日過し、「――こんな眼のまわる仕事は、年寄りには無茶や。わてはやっぱし大阪で三味線ひいて・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・ 彼は蓄音機という綽名を持ち、一年三百六十五日、一日も欠かさず、お前たちの生命は俺のものだという意味の、愚劣な、そしてその埋め合わせといわん許りに長ったらしい、同じ演説を、朝夕二回ずつ呶鳴り散らして、年中声が涸れ、浪花節語りのように咽を・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・結婚して、はじめて青春の美しさを、それを灰色に過してしまったくやしさが、舌を噛みたいほど、痛烈に感じられ、いまのうち何かでもって埋め合せしたく、あの人とふたりで、ひっそり夕食をいただきながら、侘びしさ堪えがたくなって、お箸と茶碗持ったまま、・・・ 太宰治 「皮膚と心」
・・・その埋め合わせというわけでもないかもしれないが、昔から相当に戦乱が頻繁で主権の興亡盛衰のテンポがあわただしくその上にあくどい暴政の跳梁のために、庶民の安堵する暇が少ないように見える。 災難にかけては誠に万里同風である。浜の真砂が磨滅して・・・ 寺田寅彦 「災難雑考」
・・・私はその埋め合わせのようなつもりで、絵はがきを少々ばかり買ってやりました。そうして白銅一つやって逃げて来ました。ミュンヘンでは四日泊まりました。ピナコテークの画堂ではムリロやデュラーやベクリンなどを飽くほど見て来ました。それからドレスデンや・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・これがために失われた三十秒ないし二分の埋め合わせはおそらく目的地に着く前にすでについてしまいそうに思われる。 しかし満員電車をきらうか好くかは「趣味」の問題であろうから、多数の乗客がもし満員電車に先を争って乗る事に特別な興味と享楽を感じ・・・ 寺田寅彦 「電車の混雑について」
・・・出になったから――と云って、けっしてつまらぬ演説をわざわざしようなどという悪意は毛頭無いのですけれども、まあなるべく短かく切上げる事にして、そうして――まだ後にも面白いのがだいぶありますから、その方で埋め合せをして、まず数でコナすようなこと・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
出典:青空文庫