・・・その家は今でも連綿として栄え、初期の議会に埼玉から多額納税者として貴族院議員に撰出された野口氏で、喜兵衛の位牌は今でもこの野口家に祀られている。然るに喜兵衛が野口家の後見となって身分が定ってから、故郷の三ヶ谷に残した子の十一歳となったを幸手・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・総領の新太郎は道楽者で、長女のおとくは埼玉へ嫁いだから、両親は職人の善作というのを次女の千代の婿養子にして、暖簾を譲る肚を決め、祝言を済ませたところ、千代に男があったことを善作は知り、さまざま揉めた揚句、善作は相模屋を去ってしまった――。・・・ 織田作之助 「妖婦」
・・・ 小僧は前借で行っていた埼玉在の紡績会社を逃げだしてきたのだ。小僧は、「あまり労働が辛いから……」という言葉に力を入れて繰返した。そして途中乞食をしながら、ほとんど二十日余りもかかって福島まで歩いてきたのだが、この先きは雪が積っていて歩・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・そこの古い寺の墓地には、親達の遺骨も分けて納めてある。埼玉気分をそそるような機場の機の音も聞えて来ている。お三輪はほんの一時落ちつくつもりで伜の新七が借りてくれた家に最早一年も暮して来た。彼女は、お富や孫達を相手に、東京の方から来る好い便り・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・ 三日には東京府、神奈川、静岡、千葉、埼玉県に戒厳令が布かれ、福田大将が司令官に任命されて、以上の地方を軍隊で警備しはじめました。そのため、東京市中や市外の要所々々にも歩哨が立ち、暴徒しゅう来等の流言にびくびくしていた人たちもすっかり安・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・先妻は、白痴の女児ひとりを残して、肺炎で死に、それから彼は、東京の家を売り、埼玉県の友人の家に疎開し、疎開中に、いまの細君をものにして結婚した。細君のほうは、もちろん初婚で、その実家は、かなり内福の農家である。 終戦になり、細君と女児を・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・「前から、そんな話があったのですか?」「いいえ、急にね。荷物も大部分まだここに置いてあります。わたしは、その留守番みたいなもので。」「田舎は、どこです。」「埼玉のほうだとか言っていました。」「そう。」 彼等のあわただ・・・ 太宰治 「未帰還の友に」
・・・という名前を見ると私の頭の中へは、いつでも埼玉県の地図が広げられる。そうしてあのねちねちした豆の香をかぐような思いがする。 ある町の角をまがって左側に蝋細工の皮膚病の模型を並べた店が目についた。人間の作ったあらゆる美しくないものの中でも・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・やっと女学校ぐらいの年頃で、父親の入獄中、疎開先の埼玉県の農家に一人で留守していた。夫人は早く死去されたとかきいた。さし入れ、その他の世話は、娘さんの稚い心くばりを、東京市内の某書店につとめていた或る人が扶けて、行っているという話をきいた。・・・ 宮本百合子 「行為の価値」
・・・などで、生活的・文学的感覚を社会的にひろめ深めてゆこうと努力している点で注目をひいている『埼玉文学』にしろ、同人たちは、より人間らしい社会生活の確保と、その文学の確立のために尽力してゆくという大きくて永続的な人民的努力のうちに、埼玉在住の人・・・ 宮本百合子 「しかし昔にはかえらない」
出典:青空文庫