・・・落ちる四人と堪える四人との間で、ロープは力足らずしてプツリと切れて終いました。丁度午後三時のことでありましたが、前の四人は四千尺ばかりの氷雪の処を逆おとしに落下したのです。後の人は其処へ残ったけれども、見る見る自分たちの一行の半分は逆落しに・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・ 実際、いかに絶大の権力を有し、百万の富を擁して、その衣食住はほとんど完全の域に達している人びとでも、またかの律僧や禅家などのごとく、その養生のためには常人の堪えるあたわざる克己・禁欲・苦行・努力の生活をなす人びとでも、病なくして死ぬの・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・貧苦に堪える力は家内の方が反って私より強い……」 しばらく石のような沈黙が続いた。そのうちに微かに酔が学士の顔に上った。学者らしい長い眉だけホンノリと紅い顔の中に際立って斑白に見えるように成った。学士は楽しそうに両手や身体を動かして、胡・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・「わびしさを堪える事です。」 自己弁解は、敗北の前兆である。いや、すでに敗北の姿である。「敗北とは何ですか。」「悪に媚笑する事です。」「悪とは何ですか。」「無意識の殴打です。意識的の殴打は、悪ではありません。・・・ 太宰治 「かすかな声」
・・・りなんかしない、過剰な感傷がないのだ、平気で孤独に堪えている、君のようにお父さんからちょっと叱られたくらいでその孤独の苦しさを語り合いたいなんて、友人を訪問するような事はしない、女だって君よりは孤独に堪える力を持っている、女、三界に家なし、・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・分が今日まで軍国主義にもならず、節操を保ち得たのは、ひとえに、恩師内村鑑三の教訓によるなどと言っているようで、インターヴューは、当てにならないものだけれど、話半分としても、そのおっちょこちょいは笑うに堪える。 いったい、この作家は特別に・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・しかも、また、貧乏に堪える力も弱いので、つい無理な仕事も引受けます。お金が、ほしくなるのです。ラジオ放送用の小説なども、私のような野暮な田舎者には、とても、うまく書けないのが、わかっていながら、つい引受けてしまいます。田舎者の癖に、派手なも・・・ 太宰治 「みみずく通信」
・・・云わば実戦に堪える体力を養ってくれた教練のようなものであったのである。平凡な結論ではあるが、学生のときには講義も演習もやはり一生懸命勉強するに限るのであろう。 しかし、米の飯だけでは生きては行かれぬように、学校の正課を正直に勉強するだけ・・・ 寺田寅彦 「科学に志す人へ」
・・・そのように少なくも二千年かかって研究しつくされた結果に準拠して作られた造営物は昨年のような稀有の颱風の試煉にも堪えることが出来たようである。 大阪の天王寺の五重塔が倒れたのであるが、あれは文化文政頃の廃頽期に造られたもので正当な建築法に・・・ 寺田寅彦 「颱風雑俎」
・・・ 少々価は高くとも長い使用に堪えるほんとうのものがほしいと思っても、そんなものは今の市場ではなかなか容易には得られない。たとえばプラチナを使った呼び鈴などは、高くてだれも買い手はないそうである。これは実際それほど必要ではないかもしれない・・・ 寺田寅彦 「断水の日」
出典:青空文庫