・・・彼らは皆その住み慣れた祖先墳墓の地を捨てて、勇ましくも津軽の海の速潮を乗りきった。 予もまた今年の五月の初め、漂然として春まだ浅き北海の客となった一人である。年若く身は痩せて心のままに風と来り風と去る漂遊の児であれば、もとより一攫千金を・・・ 石川啄木 「初めて見たる小樽」
・・・が、それはとにかく――東京の小県へこの来書の趣は、婦人が受辱、胎蔵の玻璃を粉砕して、汚血を猟色の墳墓に、たたき返したと思われぬでもない。昭和八年一月 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・が、ふとこの城下を離れた、片原というのは、渠の祖先の墳墓の地である。 海も山も、斉しく遠い。小県凡杯は――北国の産で、父も母もその処の土となった。が、曾祖、祖父、祖母、なおその一族が、それか、あらぬか、あの雲、あの土の下に眠った事を、昔・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ さては旨いぞシテ操ったり、とお通にはもとより納涼台にも老媼は智慧を誇りけるが、奚んぞ知らむ黒壁に消えし蝦蟇法師の、野田山の墓地に顕れて、お通が母の墳墓の前に結跏趺坐してあらむとは。 その夕もまたそこに詣でし、お通は一目見て蒼くなり・・・ 泉鏡花 「妖僧記」
・・・かしこは墳墓なりき。今やしからず。今朝より君が来宅までわが近郊の散歩は濁水暫時地を潜りし時のごとし。こはわが荒き感情の漉されし時なり。再び噴出せし今は清き甘き泉となりぬ。われは勇みてこの行に上るべし。望みは遠し、されど光のごとく明るし。熱血・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・今までは本堂に遮られて見えなかった裏手の墳墓が黒焦げになったまま立っている杉の枯木の間から一目に見通される。家康公の母君の墓もあれば、何とやらいう名高い上人の墓もある……と小さい時私は年寄から幾度となく語り聞かされた……それらの名高い尊い墳・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・ 四、五年来、わたくしが郊外を散行するのは、かつて『日和下駄』の一書を著した時のように、市街河川の美観を論述するのでもなく、また寺社墳墓を尋ねるためでもない。自分から造出す果敢い空想に身を打沈めたいためである。平生胸底に往来している感想・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・晩、その蒼白い光と澄み渡る深い空の色とが、何というわけなく、われらの国土にノスタルジックな南方的情趣を帯びさせる夜、自分は公園の裏手なる池のほとりから、深い樹木に蔽われた丘の上に攀じ登って、二代将軍の墳墓に近い朱塗の橋を渡り、その辺の小高い・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・地下室の赤ん坊の墳墓は、窓から青白い呪を吐く。 サア! 行け! 一切を蹂躙して! ブルジョアジーの巨人! 私は、面会の帰りに、叩きの廊下に坐り込んだ。 ――典獄に会わせろ。 誰が何と言っても私は動かなかった。 ――宇・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
出典:青空文庫