・・・けれども、今夜は全くの無風なので、焔は思うさま伸び伸びと天に舞いあがり立ちのぼり、めらめら燃える焔のけはいが、ここまではっきり聞えるようで、ふるえるほどに壮観であった。ふと見ると、月夜で、富士がほのかに見えて、気のせいか、富士も焔に照らされ・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
・・・「壮観でしたよ。眉山がミソを踏んづけちゃってね。」「ミソ?」 僕は、カウンターに片肘をのせて立っているおかみさんの顔を見た。 おかみさんは、いかにも不機嫌そうに眉をひそめ、それから仕方無さそうに笑い出し、「話にも何もなり・・・ 太宰治 「眉山」
・・・炸弾の壮観も眼前に浮かぶ。けれど七、八里を隔てたこの満洲の野は、さびしい秋風が夕日を吹いているばかり、大軍の潮のごとく過ぎ去った村の平和はいつもに異ならぬ。 「今度の戦争は大きいだろう」 「そうさ」 「一日では勝敗がつくまい」・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・浪がないから竜王の下の岩に躍る白浪の壮観も見えぬ。釣船はそろそろ帆を張って帰り支度をしている。沖の礁を廻る時から右舷へ出て種崎の浜を見る。夏とはちがって人影も見えぬ和楽園の前に釣を垂れている中折帽の男がある。雑喉場の前に日本式の小さい帆前が・・・ 寺田寅彦 「高知がえり」
・・・夏中ぽつりぽつり咲いていたカンナが、今頃になって一時に満開の壮観を呈している。何とか云う名の洋紅色大輪のカンナも美しいが、しかし札幌円山公園の奥の草花園で見た鎗鶏頭の鮮紅色には及ばない。彼地の花の色は降霜に近づくほど次第に冴えて美しくなるそ・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・舟傾く時海また傾いて深黒なる奔潮天と地との間に向って狂奔するかと思わるゝ壮観は筆にも言語にも尽すべきにあらず。甲の浦沖を過ぐと云う頃ハッチより飯櫃膳具を取り下ろすボーイの声八ヶましきは早や夕飯なるべし。少し大胆になりて起き上がり箸を取るに頭・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・父は維新前いわゆる御鯨方の支配の下に行われた捕鯨の壮観と、大漁後のバッカスの饗宴とを度々目撃し体験していたので、出発前にその話を飽きるほど聞かされていた。それで非常な期待と憧憬とをもって出かけたのであったが、運悪く漁がなくて浜は淋しいほど静・・・ 寺田寅彦 「初旅」
・・・「しかし僕の御蔭で天地の壮観たる阿蘇の噴火口を見る事ができるだろう」「可愛想に。一人だって阿蘇ぐらい登れるよ」「しかし華族や金持なんて存外意気地がないもんで……」「また身代りか、どうだい身代りはやめにして、本当の華族や金持ち・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・ヤグラの上で、盆祭りの赤い腰まきを木の間にちらつかせて涼んでいる農家のかあさんたちは、この稲田の壮観と、自分たちの土地というものについて何と感じているだろうか。この稲田に注がれている農村の女の労働力はいかばかりかしれないのに、日本の家族制度・・・ 宮本百合子 「青田は果なし」
・・・例えば、アムステルダムの大市場は、世界の物資を集散して目を瞠らせる壮観を呈した。同時にその市場を運営していたアムステルダムの市民は、ルーベンス、レンブラントの芸術を生む母胎ともなった。ハンザ同盟に加っていたヨーロッパのいくつかの自由都市は、・・・ 宮本百合子 「木の芽だち」
出典:青空文庫