・・・』とせいぜい声高に叫ばなければいけないようだ。黙っていたら、いつしか人は、私を馬扱いにしてしまった。私は、いま、取りかえしのつかない事がらを書いている。人は私の含羞多きむかしの姿をなつかしむ。けれども、君のその嘆声は、いつわりである。一得一・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・以来、十春秋、日夜転輾、鞭影キミヲ尅シ、九狂一拝ノ精進、師ノ御懸念一掃ノオ仕事シテ居ラレルナラバ、私、何ヲ言オウ、声高ク、「アリガトウ」ト明朗、粛然ノ謝辞ノミ。シカルニ、此ノ頃ノ君、タイヘン失礼ナ小説カイテ居ラレル。家郷追放、吹雪ノ中、妻ト・・・ 太宰治 「創生記」
・・・門の垣根の外には近所の子供が二、三人集まって、声高に何か云っているが、その声が遠くのように聞える。枕につけた片方の耳の奧では、動脈の漲る音が高く明らかに鳴っている。 また肺炎かと思う。これまで既に二度、同じ病気に罹った時分の事も思い出す・・・ 寺田寅彦 「枯菊の影」
・・・ 二人の車掌が詰め寄るような勢いを示して声高にものを云っていた。「誤魔化そうと思ったんですか、そうじゃないですか。サア、どっちですか、ハッキリ云って下さい。」 若い男は存外顔色も変えないで、静かに伏目がちに何か云いながら、新しい切符・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・過ぐる日の饗筵に、卓上の酒尽きて、居並ぶ人の舌の根のしどろに緩む時、首席を占むる隣り合せの二人が、何事か声高に罵る声を聞かぬ者はなかった。「月に吠ゆる狼の……ほざくは」と手にしたる盃を地に抛って、夜鴉の城主は立ち上る。盃の底に残れる赤き酒の・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・初緑らの一群は声高に戯れながら去ッてしまッた。「吉里さん、吉里さん」と、呼んだ声が聞えた。善吉は顔を水にしながら声のした方を見ると、裏梯子の下のところに、吉里が小万と話をしていた。善吉はしばらく見つめていた。善吉が顔を洗い了ッた時、小万・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・熱中してほてらしている頬は、まがうかたない女の軟かい頬であり、声高に議論するその声は、どうしたってテノールやバスではあり得ない。女のアルトであり、若々しいソプラノであるだろう。握る拳さえ、女は女のこぶしを握るのである。本質の女らしくなさ、が・・・ 宮本百合子 「「女らしさ」とは」
・・・ 波間 東海道線を西の方から乗って来て、食堂などにいると、この頃の空気が声高な雑談の端々から濛々とあたりを罩めている。儲けたり、儲けそこなったりの話である。 或るカイタイ会社が北海道のどこかで暗礁にのりあげ・・・ 宮本百合子 「くちなし」
・・・踊るもの、かけるもの、キーキー云ってふざけるもの、声高に座談をなげ合うもの、命が躍って、躍って、止途もないというようなのが女の人、ことに若い人の通用性でございます。絶えず興奮して居ります。 静かにしんみりと話すことは少くても、笑うか、喋・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・ すぐよかに、いみじかれ 我が乙女子よ……。 声高な独唱につれて、無意識に口をそろえ声を張りあげて すぐよかに、いみじかれ わが乙女子よ……。と合唱の繰返しをつけている最中に、彼女にはフト、その「・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
出典:青空文庫