・・・一度媚びを売ることを余儀なくされた女性は、たとい同情に価はしても、青年学生の恋愛の相手として恰好なものではない。 もとより「良家の娘」にもそのマンネリズムと、安易さと退屈とはあろう。しかしそれは熱烈なる「愛人教育」によって打破し、指導し・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・ 島の人々は、遍路たちに夏蜜柑を籠に入れ道ばたに置き一ツ二銭とか三銭の木札を傍に立てゝ売るのだが、いまは、蜜柑だけがなくなって金が入れられていないことが多い。店さきのラムネの壜がからになって金を払わずに遍路が混雑にまぎれて去ったりする。・・・ 黒島伝治 「海賊と遍路」
・・・るから、言うまでも無く物寂びた地だが、それでも近い村々に比べればまだしもよい方で、前に挙げた川上の二三ヶ村はいうに及ばず、此村から川下に当る数ヶ村も皆この村には勝らないので、此村にはいささかながら物を売る肆も一二軒あれば、物持だと云われてい・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・みでござりますと月始めに魚一尾がそれとなく報酬の花鳥使まいらせ候の韻を蹈んできっときっとの呼出状今方貸小袖を温習かけた奥の小座敷へ俊雄を引き入れまだ笑ったばかりの耳元へ旦那のお来臨と二十銭銀貨に忠義を売るお何どんの注進ちぇッと舌打ちしながら・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・それ見給え、そういう芸があるなら売るが可じゃないか。売るべし。売るべし。無くてさえ売ろうという今の世の中に、有っても隠して持ってるなんて、そんな君のような人があるものか。では斯うするさ――僕が今、君に尺八を買うだけの金を上げるから粗末な竹で・・・ 島崎藤村 「朝飯」
・・・安く売る、という意味で、商人がもっぱらこの言葉を使用しているようである。なお、いまでは、役者も使うようになっている。曾我廼家五郎とか、また何とかいう映画女優などが、よくそんな言葉を使っている。どんなことをするのか見当もつかないけれども、とに・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・ボスニア産のプリュウンであろうが、機関車であろうが、レンブラントの名画であろうが、それを大金で買って、気に入らないから、直ぐに廉価に売るには、何の差支もない。これは立派な売買である。仲買にたっぷり握らせて、自分も現金を融通する。仲買は公民権・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・西洋人の大きな洋館、新築の医者の構えの大きな門、駄菓子を売る古い茅葺の家、ここまで来ると、もう代々木の停留場の高い線路が見えて、新宿あたりで、ポーと電笛の鳴る音でも耳に入ると、男はその大きな体を先へのめらせて、見栄も何もかまわずに、一散に走・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・便利と安全を買うために自分を売る事を恐れるからである。こういう変わり者はどうかすると万人の見るものを見落としがちである代わりに、いかなる案内記にもかいてないいいものを掘り出す機会がある。 私が昔二三人連れで英国の某離宮を見物に行った時に・・・ 寺田寅彦 「案内者」
・・・こんにゃくを売ることも忘れて、ドンドンいまきた道をあと戻りして逃げてしまう。 こんなとき、私が、「ああおれはこんにゃく屋だよ。それがどうしたんだい」 と言えればよかった。そしたら意地悪共も黙ってしまったにちがいない。ところが不可・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
出典:青空文庫