・・・昨夜早田と話をした時、聞きただしてみると、この辺の土地の売買は思いのほか安いものですよ」 父は例の手帳を取り出して、最近売買の行なわれた地所の価格を披露しにかかると、矢部はその言葉を奪うようにだいたいの相場を自分のほうから切り出した。彼・・・ 有島武郎 「親子」
・・・普段ならば人々は見向きもしないのだが、畑作をなげてしまった農夫らは、捨鉢な気分になって、馬の売買にでも多少の儲を見ようとしたから、前景気は思いの外強かった。当日には近村からさえ見物が来たほど賑わった。丁度農場事務所裏の空地に仮小屋が建てられ・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・町の諸門をとじる合図の鐘は二時間も前に鳴ったので、コルソに集って売買に忙がしかった村の人々の声高な騒ぎも聞こえず、軒なみの店ももう仕舞って寝しずまったらしい。女猫を慕う男猫の思い入ったような啼声が時折り聞こえる外には、クララの部屋の時計の重・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・ 商品とかえられて持ちだされてきいたルーブル紙幣は、十二銭内外で、サヴエート国内でただ一カ所密売買をやっている、浦潮の朝鮮銀行へ吸収されて行った。 鮮銀はさらに、カムチャッカ漁場の利権を買ってる漁業会社へ、一ルーブル十八銭――二十銭・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・彼等は豚小屋に封印をつけて、豚を柵から出して、百姓が勝手に売買することを許さなくするためにやって来たのである。 百姓達は、それに対して若者が知らして帰ると共に、一勢に豚を小屋から野に放つことに申合せていた。 健二は、慌てゝ柵を外して・・・ 黒島伝治 「豚群」
・・・ こういう売買の仲介をやるのが、熊さんという男だ。三十二本の歯をすべて、一本も残さず金で巻いている。何か、一寸売買に口をかけると、必ず、五分の周旋料は、せしめずに置かない男だ。人々は、おじけて、なるべく熊さんの手にかけないようにする。熊・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・そして世におのずから骨董の好きな人があるので、骨董を売買するいわゆる骨董屋を生じ、骨董の目ききをする人、即ち鑑定家も出来、大は博物館、美術館から、小は古郵便券、マッチの貼紙の蒐集家まで、骨董畠が世界各国都鄙到るところに開かれて存在しているよ・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・今日は市立つ日とて、秤を腰に算盤を懐にしたる人々のそこここに行きかい、糸繭の売買に声かしましく罵り叫く。文化文政の頃に成りたる風土記稿にしるせる如く、今も昔の定めを更えで二七の日をば用いるなるべし。昼餉を終えたれど暑さ烈しければ、二時過ぐる・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・これは立派な売買である。仲買にたっぷり握らせて、自分も現金を融通する。仲買は公民権を失うような危険を冒さずに済むのである。 丁度この話の出来事のあった時、いつも女に追い掛けられているポルジイが、珍らしく自分の方から女に懸想していた。女色・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
「学位売買事件」というあまり目出度からぬ名前の事件が新聞社会欄の賑やかで無味な空虚の中に振り播かれた胡椒のごとく世間の耳目を刺戟した。正確な事実は審判の日を待たなければ判明しない。 学位などというものがあるからこんな騒ぎ・・・ 寺田寅彦 「学位について」
出典:青空文庫