・・・ と変哲もない愛想笑。が、そう云う源助の鼻も赤し、これはいかな事、雑所先生の小鼻のあたりも紅が染む。「実際、厳いな。」 と卓子の上へ、煙管を持ったまま長く露出した火鉢へ翳した、鼠色の襯衣の腕を、先生ぶるぶると震わすと、歯をくいし・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・と立合の背に凭懸って、「手品か、うむ、手品を売りよるじゃな。」「へい、八通りばかり認めてござりやす、へい。」「うむ、八通り、この通か、はッはッ、」と変哲もなく、洒落のめして、「どうじゃ五厘も投げてやるか。」「ええ、投銭、・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・までもない、それで世間一般から、茶の湯というものが、どういうことに思われて居るかと察するに、一は茶の湯というものは、貴族的のもので到底一般社会の遊事にはならぬというのと、一は茶事などというものは、頗る変哲なもの、殊更に形式的なもので、要する・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・しかし、読者の度胆を抜くような、そして抜く手も見せぬような巧みに凝られた書出しよりも、何の変哲もない、一見スラスラと書かれたような「弥生さんのことを書く」という淡々とした書出しの方がむずかしいのだ。 私は武田さんの小説家としての円熟を感・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・という――ただそれだけの何の変哲もない他愛もない夢であるが、この夢から私は次のように短かい物語を作ってみた。 三人の帰還軍人が瀬戸内海沿岸のある小さな町のはずれに一軒の家を借りて共同生活をしている。その家にもう一人小隊長と呼ばれている家・・・ 織田作之助 「電報」
・・・甲府市外の湯村温泉、なんの変哲もない田圃の中の温泉であるが、東京に近いわりには鄙びて静かだし、宿も安直なので、私は仕事がたまると、ちょいちょいそこへ行って、そこの天保館という古い旅館の一室に自らを閉じこめて仕事をはじめるということにしていた・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・ 我輩も時には禅坊主みたような変哲学者のような悟りすました事も云って見るが、やはり大体のところが御存じのごとき俗物だからこんな窮屈な暮しをして回やその楽をあらためず賢なるかなと褒められる権利は毛頭ないのだよ。そんならなぜもっと愉快な所へ・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
出典:青空文庫