・・・気心の好い平生大人しい人でありますから、私共始め御主人も、かれこれ気を揉んでおりますけれども、どこが痛むというではなし、苦しいというではなし、労りようがないのでございますよ。それでね、貴方、その病気と申しますのが、風邪を引いたの、お肚を痛め・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・ けれど、やがて妹が運んで来た鍋で、砂糖なしのスキ焼をつつきながら飲み出すと、もうマダムは不思議なくらい大人しい女になって、「――お客さんはまアぼつぼつ来てくれはりまっけど、この頃は金さえ出せば闇市で肉が買えますし、スキ焼も珍らしゅ・・・ 織田作之助 「世相」
・・・現在年寄夫婦が商売しているのだが、土地柄、客種が柄悪く荒っぽいので、大人しい女子衆は続かず、といって気性の強い女はこちらがなめられるといった按配で、ほとほと人手に困って売りに出したのだというから、掛け合うと、案外安く造作から道具一切附き三百・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・ 春ちゃんは無口な大人しい子供で、成績もよく級長であったから、やはり女の方の級長をしている雪子という蒼白い顔の大人しい娘を「おれの娘」にしていたが、思わず、「うん」とうなずいて、その日から安子の「好い人」になってしまった。 その日学・・・ 織田作之助 「妖婦」
・・・しかし細君はごく大人しい好人物だというので近所の気受けはあまり悪い方ではなかったらしい。 主人のジュセッポの事を近所ではジューちゃんと呼んでいた。出入りの八百屋が言い出してからみんなジューちゃんというようになったそうである。自分は折々往・・・ 寺田寅彦 「イタリア人」
・・・近頃某氏のために揮毫した野菜類の画帖を見ると、それには従来の絵に見るような奔放なところは少しもなくて全部が大人しい謹厳な描き方で一貫している、そして線描の落着いたしかも敏感な鋭さと没骨描法の豊潤な情熱的な温かみとが巧みに織り成されて、ここに・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・先刻から偉い偉いということを速水君が言われましたが、貴方がたの方が遥かに大人しい、能く出来ていると思います。われわれは実に乱暴であった。その悪戯の例はいくらもあります。それを御話するために此処へ登ったんじゃないが、如何にわれわれが悪かったか・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
出典:青空文庫