・・・盗賊が紳商に化けて泊っていた時の話、県庁の役人が漁師と同腹になって不正を働いた一条など、大方はこんな話を問わず語りに話した。中には哀れな話もあった。数年前の夏、二階に泊っていた若い美しい人の妻の、肺で死んだ臨終のさまなど、小説などで読めば陳・・・ 寺田寅彦 「嵐」
・・・墓地本道の左右に繁茂していた古松老杉も今は大方枯死し、桜樹も亦古人の詩賦中に見るが如きものは既に大抵烏有となったようである。根津権現の花も今はどうなったであろうか。 根津権現の社頭には慶応四年より明治二十一年まで凡二十一年間遊女屋の在っ・・・ 永井荷風 「上野」
・・・「こいつあ旨え、しかし狸が作蔵の褌をとって何にするだろう」「大方睾丸でもつつむ気だろう」 アハハハハと皆一度に笑う。余も吹き出しそうになったので職人はちょっと髪剃を顔からはずす。「面白え、あとを読みねえ」と源さん大に乗気にな・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・増て他の家へは大方は使を遣して音問を為べし。又我親里の能ことを誇て讃語るべからず。 女は我親の家をば継がず舅姑の跡を継ぐ故云々と。是れも前に言う通り壻養子したる家の娘は親の家を継ぐ者なり。他家に嫁して舅姑の跡を継ぐ者あり、生れた・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・己の心を深く動かした音楽が、神と人との間の不思議を聞せるような音楽が止んだ。大方己のために不思議の世界を現じた楽人は、詰らぬ乞食か何かで、門に立って楽器を鳴らしていたのが、今は曲を終ったので帽子でも脱いで、その中へ銅貨を入れて貰おうとしてい・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・乗ってる者は、三十余りか四十にも近い位の、かっぷくの善い、堅帽を被った男で、中位な熊手を持って居る。大方かなりな商家の若旦那であろう。四十近くでは若旦那でもない訳だが、それは六十に余る達者な親父があって、その親父がまた慾ばりきったごうつくば・・・ 正岡子規 「熊手と提灯」
・・・ あの人や、この人や、栄蔵と親しくして居るほどの者は、皆が皆、大方はあまり飛び抜けた生活をして居るものもないので、勢い、同情を寄せてくれそうな人々を物色した。 知人の中には、大門をひかえ、近所の出入りにも車にのり、いつも切れる様な仕・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・ この時突然、店の庭先で太鼓がとどろいた、とんと物にかまわぬ人のほかは大方、跳り立って、戸口や窓のところに駆けて出た、口の中をもぐもぐさしたまま、手にナフキンを持ったままで。 役所の令丁がその太鼓を打ってしまったと思うと、キョトキョ・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・檀家であった元小倉藩の士族が大方豊津へ遷ってしまったので、廃寺のようになったのであった。辻堂を大きくしたようなこの寺の本堂の壁に、新聞反古を張って、この坊さんが近頃住まっているのである。 主人は嬉しそうな顔をして、下女を呼んで言い附けた・・・ 森鴎外 「独身」
・・・ 女。大方そうだろうと存じましたの。 男。実は夜寝ることも出来なかったのです。あのころはわたくしむやみにあなたを思っていたでしょう。そこで馬鹿らしいお話ですが、何度となく床から起きて、鏡の前へ自分の顔を見にいったのですね。わたくしも・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「最終の午後」
出典:青空文庫