・・・あの男が、海へ卒塔婆を流す時に、帰命頂礼熊野三所の権現、分けては日吉山王、王子の眷属、総じては上は梵天帝釈、下は堅牢地神、殊には内海外海竜神八部、応護の眦を垂れさせ給えと唱えたから、その跡へ並びに西風大明神、黒潮権現も守らせ給え、謹上再拝と・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・ 世間は、春風に大きく暖く吹かるる中を、一人陰になって霜げながら、貧しい場末の町端から、山裾の浅い谿に、小流の畝々と、次第高に、何ヶ寺も皆日蓮宗の寺が続いて、天満宮、清正公、弁財天、鬼子母神、七面大明神、妙見宮、寺々に祭った神仏を、日課・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・稲荷大明神がある。弘法大師もあれば、不動明王もある。なんでも来いである。ここへ来れば、たいていの信心事はこと足りる。ないのはキリスト教と天理教だけである。どこにどれがあるのか、何を拝んだら、何に効くのか、われわれにはわからない。 しかし・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・「ありがてえ、昔時からテキパキした奴だったッケ、イヨ嚊大明神。と小声で囃して後でチョイと舌を出す。「シトヲ、馬鹿にするにも程があるよ。 大明神眉を皺めてちょいと睨んで、思い切って強く帚で足を薙ぎたまう。「こんべらぼうめ。・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・昔は飯綱大明神、または飯綱権現と称し、先ず密教修験的の霊区であった。他からは多くは祇尼天を祭るとせられたが、山では勝軍地蔵を本宮とするとしていた。勝軍地蔵は日本製の地蔵で、身に甲冑を着け、軍馬に跨って、そして錫杖と宝珠とを持ち、後光輪を戴い・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・別段、こだわるわけではありませんが、作州の津山から九里ばかり山奥へはいったところに向湯原村というところがありまして、そこにハンザキ大明神という神様を祀っている社があるそうです。ハンザキというのは山椒魚の方言のようなものでありまして、半分に引・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・こいつにも余り福をやりたくないのであるが、しかし大鷲大明神なかなか慾ばって居るからこれくらいの熊手を買うてもろうた義理に少しは掻き込んでやるかもしれない。……………仲町を左へ曲って雪見橋へ出ると出あいがしらに、三十四、五の、丸髷に結うた、栗・・・ 正岡子規 「熊手と提灯」
・・・嚊大明神尤少々焼いて見るなぞは有難いな。女房の焼くほど亭主持てもせず、ハハハハハ。これでも今夜帰ると、ゲー、嚊大明神きっと焼くよ。あなた今夜どこで飲みましたよ、位いうだろう。どこで飲んだ、どこで飲んだもねえものだ、おれが飲む処は新橋か柳橋、・・・ 正岡子規 「煩悶」
出典:青空文庫