・・・丁度大正時代の文壇で、一時トルストイやタゴールが流行児であつた如く、ニイチェもまたかつて流行児であつた。そしてトルストイやタゴールが廃つた如く、ニイチェもまた忽ちに廃つてしまつた。それもその筈である。人々はただニイチェの名前だけを、ジャーナ・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・ おまけに、明治が大正に変わろうとする時になると、その中学のある村が、栓を抜いた風呂桶の水のように人口が減り始めた。残っている者は旧藩の士族で、いくらかの恩給をもらっている廃吏ばかりになった。 なぜかなら、その村は、殿様が追い詰めら・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・ 本田家は、それが大正年間の邸宅であろうとは思われないほどな、豪壮な建物とそれを繞る大庭園と、塀とで隠して静に眠っているように見えた。 邸宅の後ろは常磐木の密林へ塀一つで、庭の続きになっていた。前は、秋になると、大倉庫五棟に入り切れ・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・ 大正十二年十二月二十日宮沢賢治 宮沢賢治 「『注文の多い料理店』序」
・・・それ以来樋口一葉をはじめ、明治大正を通じて今日までには幾人か、相当の文学的業績をもつ婦人作家がある。が、日本の民主的な文学の流れは、昭和のはじめ世界の民主主義の前進につれて歴史的に高まり、プロレタリア文学の誕生を見た。その当時、その流れの中・・・ 宮本百合子 「明日咲く花」
・・・ 二 日本の新聞の歴史は、こうして忽ち、反動的な強権との衝突の歴史となったのであるが、大正前後、第一次欧州大戦によって日本の経済の各面が膨脹したにつれて、いくつかの大新聞は純然たる一大企業として、経営される・・・ 宮本百合子 「明日への新聞」
・・・大正二年一月 森鴎外 「阿部一族」
・・・ 大正元年九月十八日 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
・・・しかるに今この門外に立って見ると、大正昭和の日本を記念する巨大な議事堂が丘の上から見おろしている。そうして間近には警視庁の大建築がそそり立っている。そうなるとあのなだらかな土手が不思議にも偉大さを印象し始めるのである。あの濠と土手とによる大・・・ 和辻哲郎 「城」
・・・ 大正四年八月鵠沼にて和辻哲郎 和辻哲郎 「「ゼエレン・キェルケゴオル」序」
出典:青空文庫