・・・またおしゃまな娘美登里の住んでいた大黒屋の寮なども大方このあたりのすたれた寺や、風雅な潜門の家を、そのまま資料にしたものであろうと、通るごとにわたくしは門の内をのぞかずにはいられなかった。江戸時代に楓の名所といわれた正燈寺もまた大音寺前にあ・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・ * 夕暮よりも薄暗い入梅の午後牛天神の森蔭に紫陽花の咲出る頃、または旅烏の啼き騒ぐ秋の夕方沢蔵稲荷の大榎の止む間もなく落葉する頃、私は散歩の杖を伝通院の門外なる大黒天の階に休めさせる。その度に堂内に安置された・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・着物の上からも小さくふくれて居る黄色の大黒さまのついた袋をソーッとなでた。目の前には少し黒味のかかった十銭丸二つと其よりも一寸大きい二十銭一つがかわりばんこにおどりをおどって居る。人に会うたんびにそのふところをはり出して「おれは財布をもって・・・ 宮本百合子 「つぼみ」
・・・ 砂糖が二銭上ったと云いながら黄色い大黒のついた財布を出して少し震える手で小銭をかぞえて縁側にならべる。しゃぼんを一銭まけさせたと手柄顔に話す。 帰る時にミノルカが生んだのだと云う七面鳥の卵ほど大きい卵を二つくれた。東京ではとうてい・・・ 宮本百合子 「農村」
出典:青空文庫