・・・高い天井、白い壁、その上ならず壇の上には時ならぬ草花、薔薇などがきれいな花瓶にさしてありまして、そのせいですか、どうですか、軽い柔らかな、いいかおりが、おりおり暖かい空気に漂うて顔をなでるのです。うら若い青年、まだ人の心の邪なことや世のさま・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・絶対安静の病床で一カ月も米杉の板を張った天井ばかりを眺めて暮した後、やっと起きて坐れるようになって、窓から小高い山の新芽がのびた松や団栗や、段々畑の唐黍の青い葉を見るとそれが恐しく美しく見える。雨にぬれた弁天島という島や、黒みかゝった海や、・・・ 黒島伝治 「海賊と遍路」
・・・それを四枚、舟の表の間の屋根のように葺くのでありますから、まことに具合好く、長四畳の室の天井のように引いてしまえば、苫は十分に日も雨も防ぎますから、ちゃんと座敷のようになるので、それでその苫の下即ち表の間――釣舟は多く網舟と違って表の間が深・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・俺は自分の身のまわりを見、天井を見、スプリングを揺すってみた。 六十日目に始めてみる街、そしてこれから少なくとも二年間は見ることのない街、――俺は自動車の両側から、どんなものでも一つ残らず見ておかなければならないと思った。 麹町何丁・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・私はこの四畳半の天井からたくさんな蛆の落ちたことを思い出した。それが私の机のそばへも落ち、畳の上へも落ち、掃いても掃いても落ちて来る音のしたことを思い出した。何が腐り爛れたかと薄気味悪くなって、二階の部屋から床板を引きへがして見ると、鼠の死・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・犬はその空地の片すみにころがっている、底も天井もぬけた、古ぼけた穀物だるの口もとにすわりこみました。たるの中には、かんなくずや砂なぞがくしゃくしゃにはいっています。そのかんなくずの上に、何だかしゅろであんだ、ぼろぼろの靴ぬぐいをまるめ上げた・・・ 鈴木三重吉 「やどなし犬」
・・・二階の西洋間で、長兄は、両手をうしろに組んで天井を見つめながら、ゆっくり歩きまわり、「いいかね、いいかね、はじめるぞ。」「はい。」「おれは、ことし三十になる。孔子は、三十にして立つ、と言ったが、おれは、立つどころでは無い。倒れそ・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・いずれも明治年代に出来た俗な絵草紙である。天井の隅には拡げた日傘が吊してある。棚や煖炉の上には粗製の漆器や九谷焼などが並べてある。中にはドイツ製の九谷まがいも交じっているようであった。 B氏は私の不審がっているのを面白そうに眺めるだけで・・・ 寺田寅彦 「異郷」
・・・右の肩で、テーブルをおすようにして、ひどい近眼らしく、ふちなしの眼鏡で天井をあおのきながら、つっかかってくる。ところどころ感動して手をたたこうと思っても、その暇がない。――われわれ労働者前衛は――というとき、歯ぎしりするようにドンドンとテェ・・・ 徳永直 「白い道」
・・・高い金箔の天井にパチリパチリと響き渡る碁石の音は、廊下を隔てた向うの室から聞えて来る玉突のキュウの音に交わる。初めてこの光景に接した時自分は無論いうべからざる奇異なる感に打たれた。そしてこの奇異なる感は、如何なる理由によって呼起されたかを深・・・ 永井荷風 「銀座」
出典:青空文庫