・・・ 澄元契約に使者に行った細川の被官の薬師寺与一というのは、一文不通の者であったが、天性正直で、弟の与二とともに無双の勇者で、淀の城に住し、今までも度たびたび手柄を立てた者なので、細川一家では賞美していた男であった。澄元のあるところへ、澄・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・に、ひとめ見たいものだという希望に胸を焼かれて、これまた老いの物好きと、かの貧書生などに笑われるのは必定と存じますが、神よ、私はただ、大きい山椒魚を見たいのです、人間、大きいものを見たいというのはこれ天性にして、理窟も何もありやせん! それ・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・女は天性、その肉体の脂肪に依り、よく浮いて、水泳にたくみの物であるという。 教訓。「女性は、たしなみを忘れてはならぬ。」 太宰治 「女人訓戒」
・・・しかしそれだけのことならば、あるいは芸術家と科学者のみに限らぬかもしれない。天性の猟師が獲物をねらっている瞬間に経験する機微な享楽も、樵夫が大木を倒す時に味わう一種の本能満足も、これと類似の点がないとはいわれない。 しかし科学者と芸術家・・・ 寺田寅彦 「科学者と芸術家」
・・・ しかし、また一方から考えると、元来多くの鳥は天性の音楽家であり、鴉でも実際かなりに色々の「歌」を唄うことが出来るばかりでなく、ロンドンの動物園にいたある大鴉などは人が寄って来ると“Who are you ?”と六かしい声で咎めるので観・・・ 寺田寅彦 「鴉と唱歌」
・・・長い頑固な病気を持てあましている堅吉は、自分の身辺に起こるあらゆる出来事を知らず知らず自分の病気と関係させて考えるような習慣が生じていた。天性からも、また隠遁的な学者としての生活からも、元来イーゴイストである彼の小自我は、その上におおってい・・・ 寺田寅彦 「球根」
・・・それは人々の天性や傾向にもよる事であろうが、一つにはまた絶えざる努力と修練を要する事は勿論である。然るに現今幾百を数える知名の画家殊に日本画家中で少なくも真剣にこういう努力をしている人が何人あるかという事は、考えてみると甚だ心細いような気が・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・此の人は其後陸軍士官となり日清戦争の時、血気の戦死を遂げた位であったから、殺戮には天性の興味を持って居たのであろう。日頃田崎と仲のよくない御飯焚のお悦は、田舎出の迷信家で、顔の色を変えてまで、お狐さまを殺すはお家の為めに不吉である事を説き、・・・ 永井荷風 「狐」
・・・て乗るちょう事のいかなるものなるかをさえ解し得ざる男なり、ただ一種の曲解せられたる意味をもって坂の上から坂の下まで辛うじて乗り終せる男なり、遠乗の二字を承って心安からず思いしが、掛直を云うことが第二の天性とまで進化せる二十世紀の今日、この点・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・現に封建時代の平民と云うものが、どのくらい長い間一種の型の中に窮屈に身を縮めて、辛抱しつつ、これは自分の天性に合った型だと認めておったか知れません。仏蘭西の革命の時に、バステユと云う牢屋を打壊して中から罪人を引出してやったら、喜こぶと思いの・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
出典:青空文庫