・・・ この時代の彼の外観には何らの鋭い天才の閃きは見えなかった。ものを云う事を覚えるのが普通より遅く、そのために両親が心配したくらいで、大きくなってもやはり口重であった。八、九歳頃の彼はむしろ控え目で、あまり人好きのしない、独りぼっちの仲間・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・この特徴を形造った大天才は、やはり凡ての日本的固有の文明を創造した蟄居の「江戸人」である事は今更茲に論ずるまでもない。もし以上の如き珍々先生の所論に対して不同意な人があるならば、請う試みに、旧習に従った極めて平凡なる日本人の住家について、先・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・人は『源氏物語』や近松や西鶴を挙げてわれらの過去を飾るに足る天才の発揮と見認めるかも知れないが、余には到底そんな己惚は起せない。 余が現在の頭を支配し余が将来の仕事に影響するものは残念ながら、わが祖先のもたらした過去でなくって、かえって・・・ 夏目漱石 「『東洋美術図譜』」
・・・ 当時の哲学科の学生には、私共の上のクラスには、両松本や米山保三郎などいう秀才がおり、二年後のクラスには桑木巌翼君をはじめ姉崎、高山などいわゆる二十九年の天才組がいた。有名な夏目漱石君は一年上の英文学にいたが、フローレンツの時間で一緒に・・・ 西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」
・・・ショーペンハウエルの説によれば、詩人と、哲学者と、天才とは、孤独であるように、宿命づけられて居るのであって、且つそれ故にこそ、彼等が人間中での貴族であり、最高の種類に属するのだそうである。 しかし孤独で居るということは、何と云っても寂し・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・この野原のなかにまもなく千人の天才がいっしょに、お互に尊敬し合いながら、めいめいの仕事をやって行くだろう。ぼくももうきみらの仲間にはいろうかなあ。」「ああはいっておくれ。おい、みんな、キューストさんがぼくらのなかまへはいると。」「ロ・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・大河内氏は、日本の女子の天才の一つとしてそれを感歎し、それは改良されている機械の機構と、「その使いかたが単調無味であるように製作されてあるほど精密に加工されるから」「飽きることを知らない農村の女子が農業精神で」その精密加工に成功し「農村の子・・・ 宮本百合子 「新しい婦人の職場と任務」
・・・ 芸術というものの性質がそうしたものであるから、芸術家、殊に天才と言われるような人には実世間で秩序ある生活を営むことの出来ないのが多い。Goethe が小さいながら一国の国務大臣をしていたり、ずっと下って Disraeli が内閣に立っ・・・ 森鴎外 「沈黙の塔」
・・・しかし、もう一度考えて見ると、自分以外のものでもどんな大天才を昔から掘り起して来たところが、やはり書けない部分がそこにひそんでいることを感づいてくる。そうなると、作家というものはもう慎重な態度はとっていられるものではなくなってしまう。 ・・・ 横光利一 「作家の生活」
・・・そうして才能を重大視するなといういろいろの人の言葉が、私の底冷えのしている心に温かい慰めを与えてくれます。天才は勉強だ、彼らの才能はさほど特殊なものではない、才能少なくして偉大な人間になった人はあらゆる方面にある、彼らはただごまかしをしない・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
出典:青空文庫