・・・官吏の内にても、一等官の如きはもっとも易からざる官職にして、尋常の才徳にては任に堪え難きものなるに、よくその職を奉じて過失もなきは、日本国中稀有の人物にして、その天稟の才徳、生来の教育、ともに第一流なりとて、一等勲章を賜わりて貴き位階を授く・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・一、私塾には黜陟・与奪の公権なきがゆえに、人生天稟の礼譲に依頼して塾法を設け、生徒を導くの外、他に方便なし。人の義気・礼譲を鼓舞せんとするには、己れ自からこれに先だたざるべからず。ゆえに私塾の教師は必ず行状よきものなり。もし然らずして教・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・その天稟の能力なるものは、あたかも土の中に埋れる種の如く、早晩萌芽を出すの性質は天然自然に備えたるものなり。されども能くその萌芽を出して立派に生長すると否らざるとは、単に手入れの行届くと行届かざるとに依るなり。即ち培養の厚薄良否に依るという・・・ 福沢諭吉 「家庭習慣の教えを論ず」
・・・よくその子の性質を察して、これを教えこれを導き、人力の及ぶ所だけは心身の発生を助けて、その天稟に備えたる働きの頂上に達せしめざるべからず。概していえば父母の子を教育するの目的は、その子をして天下第一流の人物、第一流の学者たらしめんとするにあ・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・ この学校は中学の内にてもっとも新なるものなれば、今日の有様にて生徒の学芸いまだ上達せしにはあらざれども、その温和柔順の天稟をもって朝夕英国の教師に親炙し、その学芸を伝習し、その言行を聞見し、愚痴固陋の旧習を脱して独立自主の気風に浸潤す・・・ 福沢諭吉 「京都学校の記」
・・・たとい天稟の才あるも、社会人事の経験に乏しきは、むろんにして、いわば無勘弁の少年と評するも不当に非ざるべし。この少年をして政治・経済の書を読ましむるは危険に非ずや。政治・経済、もとよりその学を非なりというに非ざれども、これを読みて世の安寧を・・・ 福沢諭吉 「経世の学、また講究すべし」
・・・めこと頭巾にかつく羽折かな孝行な子供等に蒲団一つづゝのごとき数え尽さず、これらの什必ずしも力を用いしものにあらずといえども、皆よく蕪村の特色を現わして一句だに他人の作とまごうべくもあらず。天稟とは言いながら老熟の致すところならん・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ 本間教子は、友代の素朴な熱心な活動的な天稟のままに気稟の側から全幕を演じ、この幕もそのようなものとして自然に演じているのだけれど、作者としては、友代のそういう自然発生の活動性、積極的な人柄を、周囲との関係でどう考えて見ているのだろうか・・・ 宮本百合子 「「建設の明暗」の印象」
・・・文学的才能、音楽、絵画の天分が、強い透明な焔で科学的天稟の間に統一され切っているのではない。寺田氏は、豊富な自分の才能のあの庭、この花園と散策する姿において、魅力を感じる人々に限りない愛着を抱かせているのである。 チンダルのアルプス紀行・・・ 宮本百合子 「作家のみた科学者の文学的活動」
・・・人として示している独特な美と力とは、女心が縷々として感じてうたう自然発生の魅力ばかりを鑑賞されることにたよっていないで、女が考える、という合理的な事実を承認して、それをまざまざとした感性で表現してゆく天稟をもっているところに在ると思う。「ギ・・・ 宮本百合子 「『静かなる愛』と『諸国の天女』」
出典:青空文庫