・・・ ひや酒に就いて、忘れられないなつかしい思い出が、もう一つある。 それを語るためには、ちょっと、私と丸山定夫君との交友に就いて説明して置く必要がある。 太平洋戦争のかなりすすんだ、あれは初秋の頃であったか、丸山定夫君から、次のよ・・・ 太宰治 「酒の追憶」
一 君が大学を出てそれから故郷の仙台の部隊に入営したのは、あれは太平洋戦争のはじまった翌年、昭和十七年の春ではなかったかしら。それから一年経って、昭和十八年の早春に、アス五ジ ウエノツクという君からの・・・ 太宰治 「未帰還の友に」
・・・ こういう事情でともかく作品の発表が出来たのは、一九三九年も秋になってからであったのに、一九四一年には又もや一月から、発表禁止をうけた。太平洋戦争に突入する準備を強行していた日本絶対主義の軍事力は、極度に言論圧迫を行って、科学でも、文学・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第五巻)」
・・・ また一九四一年にはいってからは、ほんの断片的な執筆しかなくて、それも前半期以後は全く途絶えてしまっているのは、一九四一年の一月から太平洋戦争を準備していた権力によってはげしい言論抑圧が進行し、宮本百合子の書いたものは、批判的であり、非・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十一巻)」
・・・日本の軍部は、太平洋戦争で百八十五万人を死なせた。全国には百八十万人の未亡人が飢餓線に生きている。千円二千円で子供らは売られている。 ソヴェト同盟は第二次大戦にナチスとの戦いで七百五十万人を失った。連合国のなかでは最も犠牲が大きかった。・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第八巻)」
ロジェ・マルタン・デュガールの長篇小説「チボー家の人々」は太平洋戦争がはじまる前に、その第七巻までが訳された。山内義雄氏の翻訳で、どっさりの人に愛読されていたものであったが、ドイツのナチズムとイタリーのファシズムの真似一点・・・ 宮本百合子 「生きつつある自意識」
・・・ 日本の個人主義は、よきにつけ、あしきにつけ、未発達のまま、第二次世界大戦、太平洋戦争に突入してしまった。そのため、一個人としての自主的な判断力が、どの個人の能力の中にあっても薄弱であった。薄弱な客観的判断力を、津浪のような軍事的強権で・・・ 宮本百合子 「逆立ちの公・私」
・・・ わたしが、去年の暮から外に出られないのは、病気だからにほかならない。太平洋戦争がはじまるとともに検挙されて、翌年の七月末、熱射病で死ぬものとして巣鴨の拘置所から帰された。そのとき心臓と腎臓が破壊され視力も失い、言語も自由でなくなった。・・・ 宮本百合子 「孫悟空の雲」
・・・そして十二月八日に太平洋戦争に突入した。十二月八日の払暁、戦争に対して反対の見解をもっていると思われていた千余名の人々が日本中で検挙された。私は十二月九日理由不明で駒込署に留められ、〔翌年〕三月検事拘留のまま巣鴨拘置所に送られた。六月下旬警・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・などは太平洋戦争中、作品の発表できなかった時分のノートから。「真夏の夜の夢」「デスデモーナのハンカチーフ」「復活」などは、珍しく芝居につき、この集のために新しく書いた。 一九四七年十二月〔一九四八年二月〕・・・ 宮本百合子 「はしがき(『女靴の跡』)」
出典:青空文庫