・・・いつのまか自分でも妙に失態をやったような気になった。臆病に慚愧心が起こって、世間へ出るのが厭で堪らぬ。省作の胸中は失意も憂愁もないのだけれど、周囲からやみ雲にそれがあるように取り扱われて、何となし世間と隔てられてしまった。それでわれ知らず日・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・結局失態百出よりは滑稽百出の喜劇に終った。が、糞泥汚物を押流す大汎濫は減水する時に必ず他日の養分になる泥沙を残留するようにこの馬鹿々々しい滑稽欧化の大洪水もまた新らしい文化を萌芽するの養分を残した。少なくも今日の文芸美術の勃興は欧洲文化を尊・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・あんな無智な百姓女ふぜいに、そよとでも特殊な愛を感じたとあれば、それは、なんという失態。取りかえしの出来ぬ大醜聞。私は、ひとの恥辱となるような感情を嗅ぎわけるのが、生れつき巧みな男であります。自分でもそれを下品な嗅覚だと思い、いやであります・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・そのころ地平、縞の派手な春服を新調して、部屋の中で、一度、私に着せて見せて、すぐ、おのが失態に気づいて、そそくさと脱ぎ捨てて、つんとすまして見せたが、かれ、この服を死ぬるほど着て歩きたく、けれども、こうして部屋の中でだけ着て、うろうろしてい・・・ 太宰治 「喝采」
・・・かりそめにも目前の論敵に頭をさげるとは、容易ならぬ失態である。喧嘩に礼儀は、禁物である。どうも私には、大人の風格がありすぎて困るのである。ちっとも余裕なんて無いくせに、ともすると余裕を見せたがって困るのである。勝敗の結果よりも、余裕の有無の・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・ あくる日、洋画を勉強している一友人が、三鷹の此の草舎に訪れて来て、私は、やがて前夜の大失態に就いて語り、私の覚悟のほども打ち明けた。この友人もまた、瀬戸内海の故郷の島から追放されているのである。「故郷なんてものは、泣きぼくろみたい・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・下手におていさいをつくろって、やせ我慢して愚図々々がんばって居るよりは、どうせ失態を見られたのだ、一刻も早く脱走するのが、かえって聡明でもあり、素直だとも思われた。 かなわない気持であった。もう、これで自分も、申しぶんの無い醜態の男にな・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・どうも、自分の過去の失態を調子づいて罵るのは、いい図ではない。いやらしくないか。悔いあらための、いまは行いすました悟り顔、救世軍か何か。似ているぞ。また、叱られた供奴の、頭かきかき、なるほどねえ、考えれば考えるほど、こちとらの考え浅うござん・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・しかし格別の大失態というほどの事もなくて、後には教頭や舎監も勤めているのを見ると、そういう地位にでもどうにか適応するだけのものはやはり備えていたものと見える。亮の子供の時からの外見だけで彼を判断していた老人などは、そういう役目の勤まるのをむ・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・とにかくそれまでの間に、森先生に御迷惑をかけるような失態を演じ出さないようにと思ってわたくしは毎週一、二回仏蘭西人某氏の家へ往って新着の新聞を読み、つとめて新しい風聞に接するようにしていた。三年の歳月は早くも過ぎ、いつか五年六年目となった。・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
出典:青空文庫