・・・どこまでもこの友達の女房役として、共に事に当ろうとしていた。 昼近い頃には、ぽつぽつ食堂へ訪ねて来る客もあった。腰の低い新七は一々食堂の入口まで迎えに出て、客の帽子から杖までも自分で預かるくらいにした。そして客の註文を聞いたり、いろいろ・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・いつも野らで為事をしている百姓の女房の曲った背中も、どこにも見えない。河に沿うて、河から段々陸に打ち上げられた土沙で出来ている平地の方へ、家の簇がっている斜面地まで付いている、黄いろい泥の道がある。車の轍で平らされているこの道を、いつも二輪・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・その狐の顔がそこの家の若い女房におかしいほどそっくりなので、この近在で評判になった。女房の方では少しもそんなことは知らないでいたが、先達ある馬方が、饅頭の借りを払ったとか払わないとかでその女房に口論をしかけて、「ええ、この狐め」「何・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・集る者は大抵四十から五十、六十の相当年輩の男ばかりで、いずれは道楽の果、五合の濁酒が欲しくて、取縋る女房子供を蹴飛ばし張りとばし、家中の最後の一物まで持ち込んで来たという感じでありました。或いは又、孫のハアモニカを、爺に借せと騙して取上げ、・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・と二の矢を継いでたが、「なんだばかばかしい、己は幾歳だ、女房もあれば子供もある」と思い返した。思い返したが、なんとなく悲しい、なんとなく嬉しい。 代々木の停留場に上る階段のところで、それでも追い越して、衣ずれの音、白粉の香いに胸を躍らし・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・を見て、そして最後に大日本松竹国産発声映画「マダムと女房」というのを見ることになったのも思えば妙な回り合わせである。「パリの屋根の下」にはたいしたドラマはない。ちょっとしたロマンスはあるが、それはシャボン玉のようなロマンスである。ちょっ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・十一の年に実のお袋の仕向が些と腑におちねえことがあって、可愛がってくれた里親の家から、江戸へ逃げて来てから、色々なことをやりましたが、火事にも逢や、女房にも死別れた。忘れもしねえ、暑い土用の最中に、餒じい腹かかえて、神田から鉄砲洲まで急ぎの・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・ 長野がコップをつきつけた。女房に子供もあるがチャップリンひげと、ながいあごをもっているこの男は、そんな意味でも女工たちに人気があった。三吉は焼酎をのみながら、事務的に用件をいった。いいながら自分に腹がたってくる。どうしてもこの男にバカ・・・ 徳永直 「白い道」
・・・栄子はその後万才なにがしの女房になって、廓外の路地にはいないような噂を耳にした。わたくしは栄子が父母と共にあの世へ行かず、娑婆に居残っている事を心から祈っている。 大道具の頭の外に、浅草では作曲家S氏とわたくしの作った歌劇『葛飾情話』演・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・戸を開けたのは茶店の女房であった。太十は女房を喚び挂けて盥を借りようとした。商売柄だけに田舎者には相応に機転の利く女房は自分が水を汲んで頻りに謝罪しながら、片々の足袋を脱がして家へ連れ込んだ。太十がお石に馴染んだのは此夜からであった。そうし・・・ 長塚節 「太十と其犬」
出典:青空文庫