・・・事実は、私が妻子たちを養うことができないため、妻の兄の好意で、妻子たちを田舎へ伴れて行ってくれたのだ。しかし私としては、どこまでも妻子たちとは離れたくなかったのだ。私はむりに伴れて行かれる気がした。暴虐――そんな気さえしたのだ。それでも、私・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・「俺ははじめあの男に対する好意に溢れていた。それで窓の話などを持ち出して話し合う気になったのだ。それだのに今自分にあの男を自分の欲望の傀儡にしようと思っていたような気がしてならないのは何故だろう。自分は自分の愛するものは他人も愛するにち・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・なんの拘りもしらないようなその老人に対する好意が頬に刻まれたまま、峻はまた先ほどの静かな展望のなかへ吸い込まれていった。――風がすこし吹いて、午後であった。 一つには、可愛い盛りで死なせた妹のことを落ちついて考えてみたいという若者め・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・僕は僕の少年の時代をいなかで過ごさしてくれた父母の好意を感謝せざるを得ない。もし僕が八歳の時父母とともに東京に出ていたならば、僕の今日はよほど違っていただろうと思う。少なくとも僕の知恵は今よりも進んでいたかわりに、僕の心はヲーズヲース一巻よ・・・ 国木田独歩 「少年の悲哀」
・・・ 田口というは昔の家老職、城山の下に立派な屋敷を昔のままに構えて有福に暮らしていましたので、この二階を貸し、私を世話してくれたのは少なからぬ好意であったのです。 ところで驚いたのは、田口に移った日の翌日、朝早く起きて散歩に出ようとす・・・ 国木田独歩 「春の鳥」
・・・よほど綺麗な人でも、人は誰でも好意をもってくれるのが当り前のように思っているとひどい目にあうことがある。また相手の財産などあまりあてにならぬ。何故なら今日の世態ではよほどの財産でない限り、やがてじきになくなるからだ。相手の人格と才能とをたの・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・ ペーターは、日本軍に好意を持っていなかった。のみならず、憎悪と反感とを抱いていた。彼は、日本人のために理由なしに家宅捜索をせられたことがあった。また、金は払うと云いつつ、当然のように、仔をはらんでいる豚を徴発して行かれたことがあった。・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・話役をしろという任命を受けて左様いう事を仕て居るというのでも無いのですが、長らく先生の教を受けて居る中に自然と左様いう地位に立たなければならぬように、自然と出来上がった世話役なので、塾は即ち先生と右の好意的世話役の上足弟子とで維持されて居る・・・ 幸田露伴 「学生時代」
・・・その考えが少しでも好意を感じている恵子に来たとき、「ちょっと」平気でおれなかった。この平気でおれない「関心」が、龍介の恵子に対する気持を知らない間に強めていった。しかし一方、彼は自分が身体も弱く金もないということの意識でそういう気持を抑えて・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・ 茲に今林氏の好意に酬い、且その後の研究を述べて、儒家諸賢の批判を請はんと欲す。而して林氏の説に序を逐うて答ふるも、一法なるべけれど、堯舜禹の事蹟に關する大體論を敍し、支那古傳説を批判せば、林氏に答ふるに於いて敢へて敬意を失することなか・・・ 白鳥庫吉 「『尚書』の高等批評」
出典:青空文庫