・・・フォルテブラッチョ家との婚約を父が承諾した時でも、クララは一応辞退しただけで、跡は成行きにまかせていた。彼女の心はそんな事には止ってはいなかった。唯心を籠めて浄い心身を基督に献じる機ばかりを窺っていたのだ。その中に十六歳の秋が来て、フランシ・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・或る女学校では女生の婚約の夫が定まると、女生は未来の良人を朋友の集まりに紹介するを例とし、それから後は公々然と音信し往来するを許された。女流の英文学者として一時盛名を馳せたI夫人は在学中二度も三度も婚約の紹介を繰返したので評判であった。・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・彼の両親ははじめ躊躇した。婚約をしてもすぐまた戦地へ戻って行かねばならぬからである。しかし、先方はそれを承知だと、仲人に説き伏せられてみると、彼の両親もそしてまた彼も萬更ではなかった。 早速見合いがおこなわれた。まだ十八になったばかしの・・・ 織田作之助 「十八歳の花嫁」
・・・しかし腹が立つといえば、いわゆる婚約期間中にも随分腹の立つことが多かった。ほんとうにしょっちゅう腹を立てて、自分でもあきれるくらい、自分がみじめに見えたくらい、また、あの人が気の毒になったくらい、けれど、あの人もいけなかった。 婚約して・・・ 織田作之助 「天衣無縫」
・・・この粗末ながらも新しい住居で、高瀬は婚約のあった人を迎える仕度をした。月の末に、彼は結婚した。 長く東京で年月を送って来た高瀬には、塾の周囲だけでも眼に映るものが多かった。庭にある桜の花は開いて見ると八重で、花束のように密集ったやつ・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・「ねえ、ずうっとずうっと天上にあの僕たちの婚約指環よりも、もっと天上に青い小さな小さな火が見えるでしょう。そら、ね、あすこは遠いですねえ」「ええ」シグナレスは小さな唇で、いまにもその火にキッスしたそうに空を見あげていました。「あ・・・ 宮沢賢治 「シグナルとシグナレス」
・・・然し彼女の成熟した女性は愛を欲し、大きな情熱によってその婚約した青年とは永劫に別れつつ、彼の児の母となった。社会の常識と闘い、アンネットはそれを機会に新たな生涯に入った。彼女は、彼女の父親の代から属していた有産階級と絶縁し、家庭教師その他知・・・ 宮本百合子 「アンネット」
・・・ 十九日 土曜、朝Aに徳山が Miss Minami との婚約を破ったということを話す。Miss Caulfield が Minami に何か云ったのだそうだ。午後、Van Cautland Park. 二十日 岩本さんと森・・・ 宮本百合子 「「黄銅時代」創作メモ」
・・・カールが十八歳、そしてイエニーが二十二歳の年、二人は婚約した。 カールはベルリン大学へ入学しなければならなかった。イエニーの住む故郷の町トリエルを離れて、大海のようなベルリンへ行くことは、カールにとってたいして気が進まなかったらしい。カ・・・ 宮本百合子 「カール・マルクスとその夫人」
・・・それにもかかわらず、彼女がその仕事に熱中しある成功を獲てゆくと、良人としてのマークのひそかな苦悩は次第につのった。婚約時代にもマークはスーがおりおり自分の手をぬけて、どこか遠いところへ行ってしまう、そして自分の知らない人になってしまうと云っ・・・ 宮本百合子 「『この心の誇り』」
出典:青空文庫