・・・私も嫉妬しますけど、あの人のは、もっとえげつないんです」 顔の筋肉一つ動かさずに言った。 妙な夫婦もあるものだ。こんな夫婦の子供はどんな風に育てられているのだろうと、思ったので、「お子さんおありなんでしょう?」 と、訊くと、・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・豹一は妓の白い胸にあるホクロ一つにも愛惜を感じる想いで、はじめて嫉妬を覚えた。博奕打ちに負けたと思うと、血が狂暴に燃えた。妓が「疳つりの半」に誘惑された気持に突き当ると、表情が蒼凄んだ。不良少年と喧嘩する日が多くなった。そして、博奕打ちに特・・・ 織田作之助 「雨」
・・・ 普通なら、嫉妬の余り、お前の顔を見るのもいやだと、それきり手を切ってしまうところを、そうしなかったのも、ひとつには、そんな気持を見すかされるのを怖れたからなのだ。いや、見すかされる云々は第二段、そんな大人気ない自分自身を恥じたからなの・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・ 彼は、嫉妬と憤怒が胸に爆発した。大隊を指揮する、取っておきのどら声で怒なりつけようとした。その声は、のどの最上部にまで、ぐうぐう押し上げて来た。 が、彼は、必死の努力で、やっとそれを押しこらえた。そして、前よりも二倍位い大股に、聯・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・妻として尊敬された無事な月日よりも、苦い嫉妬を味わせられた切ない月日の方に、より多く旦那のことを思出すとは。おげんはそんな夫婦の間の不思議な結びつきを考えて悩ましく思った。婆やが来てそこへ寝床を敷いてくれる頃には、深い秋雨の戸の外を通り過ぎ・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・でで、以前家に置いてあった書生が彼女の部屋へ出入したからと言って、咎めようも無かったが……疑えば疑えなくもないようなことは数々あった……彼は鋭い刃物の先で、妻の白い胸を切開いて見たいと思った程、烈しい嫉妬で震えるように成って行った。 そ・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・ なぜ、おれは嫉妬しないのだろう。やはり、おれは、自惚れやなのであろうか。おれをきらう筈がない。それを信じているのだろうか。怒りさえない。れいのそのひとが、あまり弱すぎるせいであろうか。おれのこんな、ものの感じかたをこそ、倨傲というので・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・老人の、ひとのよい無学ではあるが利巧な、若く美しい妻は、居並ぶ近親たちの手前、嫉妬でなく頬をあからめ、それから匙を握ったまま声しのばせて泣いたという。 盗賊 ことし落第ときまった。それでも試験は受けるのである。甲斐な・・・ 太宰治 「逆行」
・・・取るに足らぬ女性の嫉妬から、些かの掠り傷を受けても、彼は怨みの刃を受けたように得意になり、たかだか二万法の借金にも、彼は、(百万法の負債に苛責まれる天才の運命は悲惨なる哉などと傲語してみる。彼は偉大なのらくら者、悒鬱な野心家、華美な薄倖児で・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・あの時は嫉妬に燃える奮闘の場面に交錯して花火が狂奔したのでずいぶんうまく調和していたが、今度のではそういう効果はなかったようである。しかし気持ちの転換には相当役に立っていた。 衣笠氏の映画を今まで一度も見たことがなかったが、今度初めて見・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
出典:青空文庫