・・・今日でも中産下層階級の子弟は何か買いものをするたびにやはり一円持っているものの、一円をすっかり使うことに逡巡してはいないであろうか? 四二 虚栄心 ある冬に近い日の暮れ、僕は元町通りを歩きながら、突然往来の人々が全然・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・Kの如き町家の子弟が結城紬の二枚襲か何かで、納まっていたのは云うまでもない。僕は、この二人の友人に挨拶をして、座につく時に、いささか、tranger の感があった。「これだけ、お客があっては、――さんも大よろこびだろう。」Kが僕に云った・・・ 芥川竜之介 「野呂松人形」
・・・いやしくも父兄が信頼して、子弟の教育を委ねる学校の分として、婦、小児や、茱萸ぐらいの事で、臨時休業は沙汰の限りだ。 私一人の間抜で済まん。 第一そような迷信は、任として、私等が破って棄ててやらなけりゃならんのだろう。そうかッてな、も・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・要するに金持の子弟の遊び場所にすぎないのである。――それに又其等の学校を出れば一定の職業を与えらるゝのが――在来の習慣若しくは形式になっている。此の如き大学の組織である以上、吾々にとっては殆んど無意味である。 そうすると如何しても今のと・・・ 小川未明 「人間性の深奥に立って」
上 都より一人の年若き教師下りきたりて佐伯の子弟に語学教うることほとんど一年、秋の中ごろ来たりて夏の中ごろ去りぬ。夏の初め、彼は城下に住むことを厭いて、半里隔てし、桂と呼ぶ港の岸に移りつ、ここより校舎に通い・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・彼は山中に読経唱題して自ら精進し、子弟を教えて法種を植え、また著述を残して、大法を万年の後に伝えようと志したのであった。さてその身延山中の聖境とはどんな所であろう。「此の山のていたらく……戌亥の方に入りて二十余里の深山あり。北は身延山、・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・いずれも農家の子弟だ。その家の一間を借りて高瀬はさしあたり腰掛に荷物を解き、食事だけは先生の家族と一緒にすることにした。横手の木戸を押して、先生は自分の屋敷の裏庭の方へ高瀬を誘った。 先生の周囲は半ば農家のさまだった。裏庭には田舎風な物・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・これを朋友子弟に頒つ。主意は泰西の理学とシナの道徳と並び行なうべからざるの理を述ぶるにあり。文辞活動。比喩艶絶。これを一読するに、温乎として春風のごとく、これを再読するに、凜乎として秋霜のごとし。ここにおいて、余初めて君また文壇の人たるを知・・・ 田口卯吉 「将来の日本」
・・・高等学校時代厳父の死に会い、当時家計豊かでなかったため亡父の故旧の配慮によって岩崎男爵家の私塾に寄食し、大学卒業当時まで引きつづき同家子弟の研学の相手をした。卒業後長崎三菱造船所に入って実地の修業をした後、三十四年に帰京して大学院に入り、同・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・貴族の子弟であるので、Fellow Commoner として入学した。しかし極めて質素な生活をしていた。ここで有名な Routh の下に厳しい数学的訓練を受けた事が、後年の彼のために非常に有益であったことは彼自身も認めている。その頃彼はよく・・・ 寺田寅彦 「レーリー卿(Lord Rayleigh)」
出典:青空文庫