・・・遺書には敵の消息と自刃の仔細とが認めてあった。「私儀柔弱多病につき、敵打の本懐も遂げ難きやに存ぜられ候間……」――これがその仔細の全部であった。しかし血に染んだ遺書の中には、もう一通の書面が巻きこんであった。甚太夫はこの書面へ眼を通すと、お・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・ こう云う治修は今度のことも、自身こう云う三右衛門に仔細を尋ねて見るよりほかに近途はないと信じていた。 仰せを蒙った三右衛門は恐る恐る御前へ伺候した。しかし悪びれた気色などは見えない。色の浅黒い、筋肉の引き緊った、多少疳癖のあるらし・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・と笠井は口早にそこに来合せた仔細と、丁度いい機会だから折入って頼む事がある旨をいいだした。仁右衛門は卑下して出た笠井にちょっと興味を感じて胸倉から手を離して、閾に腰をすえた。暗闇の中でも、笠井が眼をきょとんとさせて火傷の方の半面を平手で・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・――仔細は、魚が重くて上らない。魔ものが圧えるかと、丸太で空を切ってみた。もとより手ごたえがない。あのばけもの、口から腹に潜っていようも知れぬ。腮が動く、目が光って来た、となると、擬勢は示すが、もう、魚の腹を撲りつけるほどの勇気も失せた。お・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・連夜の川施餓鬼は、善か悪か因縁があろうと、この辺では噂をするが、十年は一昔、二昔も前から七兵衛を知ってるものも別に仔細というほどのことを見出さない。本人も語らず、またかかる善根功徳、人が咎めるどころの沙汰ではない、もとより起居に念仏を唱える・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・あたりまっ暗ではあれど、勝手知ってる家だから、足さぐりに行っても子細はない。風呂の前の方へきたら釜の火がとろとろと燃えていてようやく背戸の入り口もわかった。戸が細目にあいてるから、省作は御免下さいと言いながら内へはいった。表座敷の方では年寄・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・なに政夫を学校へ遣ってしまいさえせば仔細はないと母の心はちゃんときまって居るらしく、「政や、お前はナ十一月へ入って直ぐ学校へやる積りであったけれど、そうしてぶらぶらして居ても為にならないから、お祭が終ったら、もう学校へゆくがよい。十七日・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・またどういう仔細があったか知らぬが、維新の際に七十万両の古金銀を石の蓋匣に入れて地中に埋蔵したそうだ。八兵衛の富力はこういう事実から推しても大抵想像される。その割合には名前が余り知られていないが、一生の事業と活動とは維新の商業史の重要な頁を・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・その頃村山龍平の『国会新聞』てのがあって、幸田露伴と石橋忍月とが文芸部を担任していたが、仔細あって忍月が退社するので、その後任として私を物色して、村山の内意を受けて私の人物見届け役に来たのだそうだ。その時分緑雨は『国会新聞』の客員という資格・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・露子の家は貧しかったものですから、いろいろ子細あって、露子が十一のとき、村を出て、東京のある家へまいることになりました。二 その家はりっぱな家で、オルガンのほかにピアノや蓄音機などがありました。露子は、なにを見ても、まだ名ま・・・ 小川未明 「赤い船」
出典:青空文庫