・・・このような原稿を伏字なしに書くには字句一つの使い方にも細かい神経を要する。武田さんが書き悩んでいるわけもうなずけるのだった。「僕がおっては邪魔でしょう」 と、出ようとすると、「いや、居ってくれんと淋しくて困るんだ。なアに書きゃい・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・そしてちょっと不思議に感じられたのは、その文面全体を通じて、注意事項の親族云々を聯想させるような字句が一つとして見当らないのだが、それがたんに同姓というだけのことで検閲官の眼がごまかされたのだろうとも考えられないことだし、してみると、この文・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・殊に新聞紙の論説の如きは奇想湧くが如く、運筆飛ぶが如く、一気に揮洒し去って多く改竄しなかったに拘らず、字句軒昂して天馬行空の勢いがあった。其一例を示せば、 我日本国の帝室は地球上一種特異の建設物たり。万国の史を閲読するも此の如き建設・・・ 幸徳秋水 「文士としての兆民先生」
・・・本文中二箇所の字句を改刪してある。これは諷刺の意を誤解せられては差支えるので、故意に原文に従わなかったのである。誤訳ではない。 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・事柄の内容のみならずその文章の字句までも、古典や雑書にその典拠を求むれば一行一行に枚挙に暇がないであろうと思われる。 勿論、馬琴自身のオリジナルな観察も少なくはないであろうが、全体として見るときは彼の著書には強烈な「書庫の匂い」がある。・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・しろい試みであろうが、どうせここまで来るくらいなら、いっそのこと、もう一歩進んで、たとえば碁盤目に雑多の表象を配列してクロスワード・パズルのようなものを作るとか、あるいは六面体八面体十二面体の面や稜に字句を配置してそれをぐるぐる回転するとか・・・ 寺田寅彦 「俳句の型式とその進化」
・・・これは普通字句の簡潔とか用語の選択の妥当性によるものと解釈されるようであるが、しかしそれよりも根本的なことは、書く事の内容の取捨選択について積まれた修業の効果によるのではないかと思われる。俳句を作る場合のおもなる仕事は不用なものをきり捨て切・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
・・・科学者がその方則を述べる字句の巧拙や運算の器用不器用は必ずしもその方則の価値と比例しないのと一般であろう。 むしろあまりに悪達者な漫画家の技巧がその内容と反比例を示す場合も少なくないように見える。それは技巧が跳躍して科学的真の圏外に逸出・・・ 寺田寅彦 「漫画と科学」
・・・余は最後に美しい婦人に逢った事とその婦人が我々の知らない事やとうてい読めない字句をすらすら読んだ事などを不思議そうに話し出すと、主人は大に軽蔑した口調で「そりゃ当り前でさあ、皆んなあすこへ行く時にゃ案内記を読んで出掛けるんでさあ、そのくらい・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・蕪村は読書を好み和漢の書何くれとなくあさりしも字句の間には眼もとめず、ただ大体の趣味を翫味して満足したりしがごとし。俳句に古語古事を用いること、蕪村集のごとく多きは他にその例を見ず。 彼が字句にかかわらざりしは古文法を守らず、仮名遣いに・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
出典:青空文庫