・・・――そういう考えの意味のないことは彼にも勿論わかっていた。孝子でも水には溺れなければならぬ、節婦でも火には焼かれるはずである。――彼はこう心の中に何度も彼自身を説得しようとした。しかし目のあたりに見た事実は容易にその論理を許さぬほど、重苦し・・・ 芥川竜之介 「寒さ」
・・・諸君、忠臣は孝子の門に出ずで、忠孝もと一途である。孔子は孝について何といったか。色難。有事弟子服其労、有酒食先生饌、曾以是為孝乎。行儀の好いのが孝ではない。また曰うた、今之孝者是謂能養、至犬馬皆能有養、不敬何以別乎。体ばかり大事にするが孝で・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・ なお委しくいいますと聖人といえば孔子、仏といえば釈迦、節婦貞女忠臣孝子は、一種の理想の固まりで、世の中にあり得ないほどの、理想を以て進まねばならなかった。親が、子供のいう事を聞かぬ時は、二十四孝を引き出して子供を戒めると、子供は閉口す・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・だから忠臣でも孝子でももしくは貞女でも、ことごとく完全な模範を前へおいて、我々ごとき至らぬものも意思のいかん、努力のいかんに依っては、この模範通りの事ができるんだといったような教え方、徳義の立て方であったのです。もっとも一概に完全と云いまし・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・政府の手を煩わすに及ばず、孝子の義務として之を討取る可し。曾我の五郎十郎こそ千載の誉れ、末代の手本なれなど書立てゝ出版したらば、或は発売を禁止せらるゝことならん。如何となれば現行法律の旨に背くが故なり。其れも小説物語の戯作ならば或は妨なから・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・古人の言に、忠臣は孝子の門に出ずといいしも、決して偶然にあらず。忠は公徳にして孝は私徳なり、その私、修まるときは、この公、美ならざらんと欲するも得べからざるなり。 然るに我輩が古今和漢の道徳論者に向かって不平なるは、その教えの主義として・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・古来孝子は親の、名を口にするのさえも畏れ遠慮するというような意味のことをうたった詩である。「わかりますか? え? よく聞いて下さい」 もう一遍、朗吟して、「この気持だ。――え?」 満州侵略戦争とそのためのひどい収奪のことも、・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・ 少くとも、孝子夫人は、自分としての性格をもって居られた。その性格は、或る強さと純粋さとをもっていて、腹のきれいなと云われる人柄であったと思う。まめな、体も感情もよく働いていとわない、自分とひととの間に活々とあつく流れるものを感じていた・・・ 宮本百合子 「白藤」
・・・のも、あの若い時に廃人同様になって、おとなしく世を送ったハルトマンや、大学教授の職に老いるヴントは別として、ショオペンハウエルは母親と義絶して、政府の信任している大学教授に毒口を利いた偏屈ものである。孝子でもなければ順民でもない。ニイチェが・・・ 森鴎外 「沈黙の塔」
・・・忠臣孝子義士節婦の笑う可く泣く可く驚く可く歎ず可き物語が、朗々たる音吐を以て演出せられて、処女のように純潔無垢な将軍の空想を刺戟して、将軍に睡壺を撃砕する底の感激を起さしめたのである。畑はこの時から浪花節の愛好者となり浪花節語りの保護者とな・・・ 森鴎外 「余興」
出典:青空文庫