・・・ 答 国立孤児院にありと聞けり。 トック君はしばらく沈黙せる後、新たに質問を開始したり。 問 予が家は如何? 答 某写真師のステュディオとなれり。 問 予の机はいかになれるか? 答 いかなれるかを知るものなし。 ・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・青き袷に黒き帯して瘠せたるわが姿つくづくとみまわしながら寂しき山に腰掛けたる、何人もかかる状は、やがて皆孤児になるべき兆なり。 小笹ざわざわと音したれば、ふと頭を擡げて見ぬ。 やや光の増し来れる半輪の月を背に、黒き姿して薪をば小脇に・・・ 泉鏡花 「清心庵」
・・・もっとも孤児同然だとのこと、都にしかるべき身内もない。そのせいか、沈んだ陰気な質ではないが、色の、抜けるほど白いのに、どこか寂しい影が映る。膚をいえば、きめが細く、実際、手首、指の尖まで化粧をしたように滑らかに美しい。細面で、目は、ぱっちり・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・――私は孤児だが、かつて志を得たら、東京へ迎えます。と言ううちに、両親はなくなりました。その親たちの位牌を、……上野の展覧会の今最中、故郷の寺の位牌堂から移して来たのが、あの、大な革鞄の中に据えてあります。その前で、謹んで言うのです。――お・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・ 謙三郎もまた我国徴兵の令に因りて、予備兵の籍にありしかば、一週日以前既に一度聯隊に入営せしが、その月その日の翌日は、旅団戦地に発するとて、親戚父兄の心を察し、一日の出営を許されたるにぞ、渠は父母無き孤児の、他に繋累とてはあらざれども、児と・・・ 泉鏡花 「琵琶伝」
・・・ 河鯉権守夫れ遠謀禍殃を招くを奈ん 牆辺耳あり防を欠く 塚中血は化す千年碧なり 九外屍は留む三日香ばし 此老の忠心きようじつの如し 阿誰貞節凜として秋霜 也た知る泉下遺憾無きを ひつぎを舁ぐの孤児戦場に趁く 蟇田素藤・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・身に一文もなくして孤児です。その人がドウして生涯を立てたか。伯父さんの家にあってその手伝いをしている間に本が読みたくなった。そうしたときに本を読んでおったら、伯父さんに叱られた。この高い油を使って本を読むなどということはまことに馬鹿馬鹿しい・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・「二人とも、おなくなりなさったので……あなたは、孤児なんですね。」といって、独りでそうきめてしまいました。 盲目のおじいさんは、おばあさんのそでをひきました。「やさしい子でもあるし、両親がないというのだから、幸い、家の子にしては・・・ 小川未明 「海からきた使い」
・・・されば小供への土産にと城下にて買いし菓子の袋開きてこの孤児に分つ母親もすくなからざりし。父は見知らぬ風にて礼もいわぬが常なり、これも悲しさのあまりなるべしと心にとむる者なし。「かくて二年過ぎぬ。この港の工事なかばなりしころ吾ら夫婦、島よ・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・ この徳二郎という男はそのころ二十五歳ぐらい、屈強な若者で、叔父の家には十一二の年から使われている孤児である。色の浅黒い、輪郭の正しい立派な男、酒を飲めば必ず歌う、飲まざるもまた歌いながら働くという至極元気のよい男であった。いつも楽しそ・・・ 国木田独歩 「少年の悲哀」
出典:青空文庫