・・・栗本鋤雲が、門巷蕭条夜色悲 〔門巷は蕭条として夜色悲しく声在月前枝 の声は月前の枝に在り誰憐孤帳寒檠下 誰か憐まん孤帳の寒檠の下に白髪遺臣読楚辞 白髪の遺臣の楚辞を読めるを〕といった絶句の如きは今なお牢記し・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・傾きやすき冬日の庭に塒を急ぐ小禽の声を聞きつつ梔子の実を摘み、寒夜孤燈の下に凍ゆる手先を焙りながら破れた土鍋にこれを煮る時のいいがたき情趣は、その汁を絞って摺った原稿罫紙に筆を執る時の心に比して遥に清絶であろう。一は全く無心の間事である。一・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・正岡は僕よりももっと変人で、いつも気に入らぬやつとは一語も話さない。孤峭なおもしろい男だった。どうした拍子か僕が正岡の気にいったとみえて、打ちとけて交わるようになった。上級では川上眉山、石橋思案、尾崎紅葉などがいた。紅葉はあまり学校のほうは・・・ 夏目漱石 「僕の昔」
・・・「この左りにあるのが有名な孤児院でスパージョンの紀念のために作ったのです。「スパージョン」て云うのは有名な説教家ですよ」「スパージョン」ぐらい講釈しないだって知っていら、腹が立ったから黙っててやった。「だんだん木が青くなって好い心持ですね、・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・その有様は、心身に働なき孤児・寡婦が、遺産の公債証書に衣食して、毎年少々ずつの金を余ますものに等し。天下の先覚、憂世の士君子と称し、しかもその身に抜群の芸能を得たる男子が、その生活はいかんと問われて、孤児・寡婦のはかりごとを学ぶとは、驚き入・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
・・・母の教を重んぜざれば、母はあれどもなきが如し。孤子に異ならざるなり。いわんや男子は外を勤て家におること稀なれば、誰かその子を教育する者あらん。哀というも、なおあまりあり。『論語』に「夫婦別あり」と記せり。別ありとは、分けへだてありという・・・ 福沢諭吉 「中津留別の書」
・・・真淵、景樹、諸平、文雄輩に比すれば彼は鶏群の孤鶴なり。歌人として彼を賞賛するに千言万語を費すとも過賛にはあらざるべし。しかれども彼の和歌をもってこれを俳句に比せんか。彼はほとんど作家と称せらるるだけの価値をも有せざるべし。彼が新言語を用うる・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・手足をもがれた人々の運命がある。孤児と寡婦の人生がある。戦争の惨禍というものの人間的な深刻さは、侵略謀議者がどのように罰せられようとも、それでつぐないきれない人民生活の傷がのこされるからだ。人が人の命をうばうというおそろしい行為でその罪を罰・・・ 宮本百合子 「新しい潮」
・・・ この三郎の父親は新田義貞の馬の口取りで藤島の合戦の時主君とともに戦死をしてしまい、跡にはその時二歳になる孤子の三郎が残っていたので民部もそれを見て不愍に思い、引き取って育てる内に二年の後忍藻が生まれた。ところが三郎は成長するに従って武・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・僕はモウ先から孤になってたんだそうでお袋なんかはちっとも覚えがないんですから、僕の子供心に思うことなんざあ、聞てくれる人はなかったんですが、奥さま斗りには、なんでも好なことがいえたんです、「いいからどんなことでもかまわずお話し」と仰しゃるも・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
出典:青空文庫