・・・この人間としての宝は、しかし、現実のなかでそのもち主たちを決して小さな安住の中にとどめておかないものである。さりとて日本の習俗のなかでは、闊達自在の表現で、その情熱を情熱のなりに発露させることもむずかしい。そのような社会の伝統に生まれた私た・・・ 宮本百合子 「白藤」
・・・フランスの一応恋愛を尊重するかのように見える習慣、婦人に対してつくす男の騎士道などというものを疑わず、その上に安住して、流麗な、傍観的態度でどっちかといえば甘い、客間で婦人たちに音読してきかせるにふさわしいような文章の作品を書いて行く。・・・ 宮本百合子 「ツルゲーネフの生きかた」
日本は誰のものか。八月十四日の読売新聞で、吉田茂、馬場恒吾の対談の大見出しをみてはげしい反問を感じなかったひとは、一人もなかったろう。「日本の進路」について、何よりも先に「外国人の安住地に」と大見出しがつくような話をする一・・・ 宮本百合子 「日本は誰のものか」
・・・どういうことを云っているかと聞いてみると、「金持が妾をおいたり、別荘をもったり贅沢三昧をしているのは、魂の安住と云うことを知らぬ哀れなことだ。それを皆さんが羨やんだり憎んだりするのはまちがいで、貧しい者こそ心がけ一つで魂の安住が得られるのだ・・・ 宮本百合子 「反宗教運動とは?」
・・・何かそこに安住していられないものがあって、もっと虚飾のない、むき出しの、だが愛らしくぴちぴちした娘という響を自分たちの若さの表徴とする好みになっている。お嬢さん、と云われることのなかにおのずから重苦しく感じさせられる境遇の格式ばった窮屈さや・・・ 宮本百合子 「若い娘の倫理」
・・・無明のうちに安住することは本能が承知しない。はっきり自分にもその惨憺さのわかる遣りなおしも、ただ時間とほか、考えられなく成って来たのです。或る状態の裡からあるがままの自己をひっさげて出て来さえすれば、精神を自由にすることが出来ると思い込みか・・・ 宮本百合子 「われを省みる」
・・・ しかしわたくしは保守の見解にのみ安住している窮屈に堪えない。そこで今体文を作っているうちに、ふと古言を用いる。口語体の文においてもまた恬としてこれを用いる。着意してあえて用いるのである。 そして自分で自分に分疏をする。それはこうで・・・ 森鴎外 「空車」
・・・ しかし人はこの物質的な世界に何の不足もなく安住することができるか。愛の歓喜にある時彼はその幸福の永遠性を望まないか。官能の悦楽のあとで彼はそのはかなさに苦しまないでいられるか。痛苦を堪え忍ぶ時彼はこの生が生理的偶然に過ぎないという考え・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
出典:青空文庫