・・・小説家久保田万太郎君の俳人傘雨宗匠たるは天下の周知する所なり。僕、曩日久保田君に「うすうすと曇りそめけり星月夜」の句を示す。傘雨宗匠善と称す。数日の後、僕前句を改めて「冷えびえと曇り立ちけり星月夜」と為す。傘雨宗匠頭を振って曰、「いけません・・・ 芥川竜之介 「久保田万太郎氏」
・・・若竹や――何とか云う句で宗匠を驚したと按摩にまで聞かされた――確に竹の楽土だと思いました。ですがね、これはお宅の風呂番が説破しました。何、竹にして売る方がお銭になるから、竹の子は掘らないのだと……少く幻滅を感じましたが。」 主人は苦笑し・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・勿論世間に茶の湯の宗匠というものはいくらもある。女子供や隠居老人などが、らちもなき手真似をやって居るものは、固より数限りなくある、乍併之れらが到底、真の茶趣味を談ずるに足らぬは云うまでもない、それで世間一般から、茶の湯というものが、どう・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・勿論秀吉は小田原陣にも茶道宗匠を随えていたほどである。南方外国や支那から、おもしろい器物を取寄せたり、また古渡の物、在来の物をも珍重したりして、おもしろい、味のあるものを大に尊んだ。骨董は非常の勢をもって世に尊重され出した。勿論おもしろくな・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・法橋紹巴は当時の連歌の大宗匠であった。しかし長頭丸が植通公を訪うた時、この頃何かの世間話があったかと尋ねられたのに答えて、「聚落の安芸の毛利殿の亭にて連歌の折、庭の紅梅につけて、梅の花神代もきかぬ色香かな、と紹巴法橋がいたされたのを人褒め申・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・ どうやら『文人』の仲間入り出来るようになったのが、そんなに嬉しいのかね。宗匠頭巾をかぶって、『どうも此頃の青年はテニヲハの使用が滅茶で恐れ入りやす。』などは、げろが出そうだ。どうやら『先生』と言われるようになったのが、そんなに嬉しいの・・・ 太宰治 「或る忠告」
・・・むべなるかな、君を、作中人物的作家よと称して、扇のかげ、ひそかに苦笑をかわす宗匠作家このごろ更に数をましている有様。しっかりたのみましたよ、だあさん。ほほ、ほほほ。ごぞんじより。笑っちゃいかん! 僕は金森重四郎という三十五歳の男だ。妻もいる・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・その同僚中に一人宗匠格の人があってそれが指導者になっていたらしい。その宗匠が「扇開けば薄墨の月」という付け句をしたのを、さすが宗匠はうまいと言ってひどく感心していたことを思い出すのである。前句は何であったか忘れてしまった。「赤い椿白い椿・・・ 寺田寅彦 「俳諧瑣談」
・・・ こうした輪廻の道程がもう一歩進んで墮落と廃頽の極に達し俳句が再び「宗匠」と「床屋」の占有物となる時代が来ると、そこではじめて次の輪廻の第一歩が始まるのではないかという気もする。その前にはどうしても一度行きつくところまで行く必要があるで・・・ 寺田寅彦 「明治三十二年頃」
・・・ 森さんはまたお茶人で、東京の富豪や、京都の宗匠なぞに交遊があったけれど、高等学校も出ているので、宗匠らしい臭味は少しもなかった。 鴈治郎の一座と、幸四郎の組合せであるその芝居は、だいぶ前から町の評判になっていた。廓ではことにもその・・・ 徳田秋声 「挿話」
出典:青空文庫