私の実見は、唯のこれが一度だが、実際にいやだった、それは曾て、麹町三番町に住んでいた時なので、其家の間取というのは、頗る稀れな、一寸字に書いてみようなら、恰も呂の字の形とでも言おうか、その中央の棒が廊下ともつかず座敷ともつ・・・ 小山内薫 「女の膝」
・・・いくたびか一杯くわされて苦汁をなめながら、なおかつ小説家というものは実際の話しか書かぬ人間だと、思いがちなのである。髭を生やした相当立派な大学教授すら、小説家というものはいつもモデルがあって実際の話をありのままに書くものであり、小説を書くた・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・また実際一円の香奠を友人に出して貰わねばならぬ様な身分の彼としては、一斤というお茶は貴重なものに違いなかった。で三百の帰った後で、彼は早速小包の横を切るのももどかしい思いで、包装を剥ぎ、そしてそろ/\と紙箱の蓋を開けたのだ。……新しいブリキ・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・いや、僕はね、実際窓というものが好きで堪らないんですよ。自分のいるところからいつも人の窓が見られたらどんなに楽しいだろうと、いつもそう思ってるんです。そして僕の方でも窓を開けておいて、誰かの眼にいつも僕自身を曝らしているのがまたとても楽しい・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・と、私はまだ子供です、実際おもしろかった、かごのそばに寄ってながめました。「うん、おもしろい鳥だろう」と、樋口はさびしい笑いをもらしてちょっと振り向きましたが、すぐまた、下を向いてしまいました、 なぜかおッ母さんは、泣き面です、そし・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・この形の選択がわれわれの実際生活のすべてにわたってせまっているのである。これは直観主義でも決められない。 リップスによれば、この際主観的制約を去って、客観的事実の制約にしたがい、すなわち、受験は自分のであり、火災は他人のであるということ・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・トルストイのような古今無双の天才でも、自分が実際行ったセバストポールと、想像と調査が書いた「戦争と平和」に於ける戦争とには、段がついている。「セバストポール」には、本当にその場に行き合わしたものでなければ出せないものがある。それが吾々を・・・ 黒島伝治 「愛読した本と作家から」
・・・特にわたくしは所謂学生生活を仕た歳月が甚だ少くて、むしろ学生生活を為ずに過して仕舞ったと云っても宜い位ですから、自分の昔話をして今の学生諸君に御聞かせ申そうというような事は、実際ほとんど無いと云ってもよいのです。ですから平に御断りを致します・・・ 幸田露伴 「学生時代」
・・・ 実際、いかに絶大の権力を有し、百万の富を擁して、その衣食住はほとんど完全の域に達している人びとでも、またかの律僧や禅家などのごとく、その養生のためには常人の堪えるあたわざる克己・禁欲・苦行・努力の生活をなす人びとでも、病なくして死ぬの・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・と連絡をとって、実際の運動と結びつこうとしたり、内では全部が結束して「獄内待遇改善」の要求を提出しようとしているそうだ。 彼奴等がわれ/\をひッつかんで、何処へ押しこもうとも、われ/\は自分たちの活動を瞬時の間だって止めようとはしていな・・・ 小林多喜二 「独房」
出典:青空文庫