・・・岸に近く、船宿の白い行灯をうつし、銀の葉うらを翻す柳をうつし、また水門にせかれては三味線の音のぬるむ昼すぎを、紅芙蓉の花になげきながら、気のよわい家鴨の羽にみだされて、人けのない廚の下を静かに光りながら流れるのも、その重々しい水の色に言うべ・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・ 私も嘗て、本郷なる何某と云うレストランに、久米とマンハッタン・カクテルに酔いて、その生活の放漫なるを非難したる事ありしが、何時か久米の倨然たる一家の風格を感じたのを見ては、鶏は陸に米を啄み家鴨は水に泥鰌を追うを悟り、寝静まりたる家家の・・・ 芥川竜之介 「久米正雄」
・・・その中に鶏や家鴨などが、客の来たのを珍しそうに眺めているという始末ですから、さすがの翁もこんな家に、大癡の名画があるのだろうかと、一時は元宰先生の言葉が疑いたくなったくらいでした。しかしわざわざ尋ねて来ながら、刺も通ぜずに帰るのは、もちろん・・・ 芥川竜之介 「秋山図」
・・・枯蘆の根にはすすけた泡がかたまって、家鴨の死んだのがその中にぶっくり浮んでいた。どんよりと濁った沼の水には青空がさびついたように映って、ほの白い雲の影が静かに動いてゆくのが見える。 対岸には接骨木めいた樹がすがれかかった黄葉を低れて力な・・・ 芥川竜之介 「日光小品」
・・・白き家鴨、五羽ばかり、一列に出でて田の草の間を漁る。行春の景を象徴するもののごとし。馬士 (樹立より、馬を曳いて、あとを振向きつつ出づ。馬の背に米俵ああ気味の悪い。真昼間何事だんべい。いや、はあ、こげえな時、米が砂利になるではねえか・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・無論この川で家鴨や鵞鳥がその紫の羽や真白な背を浮べてるんですよ。この川に三寸厚サの一枚板で橋が懸かっている。これに欄干を附けたものか附けないものかと色々工夫したが矢張り附けないほうが自然だというんで附けないことに定めました……まア構造はこん・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・一週間ほどするうちに、それまで、全く枯野だった草原が、すっかり青くなって、草は萌え、木は枝を伸し、鵞や鶩が、そここゝを這い廻りだした。夏、彼等は、歩兵隊と共に、露支国境の近くへ移って行った。十月には赤衛軍との衝突があった。彼等は、装甲列車で・・・ 黒島伝治 「雪のシベリア」
・・・突きおとされた豆腐屋の末っ子は落下しながら細長い両脚で家鴨のように三度ゆるく空気を掻くようにうごかして、ぼしゃっと水面へ落ちた。波紋が流れにしたがって一間ほど川下のほうへ移動してから波紋のまんなかに片手がひょいと出た。こぶしをきつく握ってい・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・ 何も人間が通るのに、評判を立てるほどのこともないのだが、淋しい田舎で人珍しいのと、それにこの男の姿がいかにも特色があって、そして鶩の歩くような変てこな形をするので、なんともいえぬ不調和――その不調和が路傍の人々の閑な眼を惹くもととなっ・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・ 池に家鴨がただ一羽いる。それが何だか淋しそうである。家鴨は群れている方が家鴨らしく、白鳥は一、二羽の方が白鳥らしい。 夕方になって池の面が薄い霧のヴェールに蔽われるころになると何かしらほのかな花の匂いが一面に立ちこめる。恰度月見草・・・ 寺田寅彦 「浅間山麓より」
出典:青空文庫