・・・が、年若な求馬の心は、編笠に憔れた顔を隠して、秋晴れの日本橋を渡る時でも、結局彼等の敵打は徒労に終ってしまいそうな寂しさに沈み勝ちであった。 その内に筑波颪しがだんだん寒さを加え出すと、求馬は風邪が元になって、時々熱が昂ぶるようになった・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・足は痺れを切らしたらしく、少しよろよろとなって歩いて行く父の後姿を見ると、彼はふっと深い淋しさを覚えた。 父はいつまでも寝つかないらしかった。いつもならば頭を枕につけるが早いかすぐ鼾になる人が、いつまでも静かにしていて、しげしげと厠に立・・・ 有島武郎 「親子」
・・・ 監獄の廊下は寂しい。十五人の男の歩く足音は、穹窿になっている廊下に反響を呼び起して、丁度大きな鉛の弾丸か何かを蒔き散らすようである。 処刑をする広間はもうすっかり明るくなっている。格子のある高い窓から、灰色の朝の明りが冷たい床の上・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・しかし我々が「淋しい」と感ずる時に、「ああ淋しい」と感ずるのであろうか、はたまた「あな淋し」と感ずるであろうか。「ああ淋しい」と感じたことを「あな淋し」といわねば満足されぬ心には徹底と統一が欠けている。大きくいえば、判断=実行=責任というそ・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・その樹の名木も、まだそっちこちに残っていて麗に咲いたのが……こう目に見えるようで、それがまたいかにも寂しい。 二条ばかりも重って、美しい婦の虐げられた――旧藩の頃にはどこでもあり来りだが――伝説があるからで。 通道というでもなし、花・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・外は秋雨しとしとと降って、この悲しげな雨の寂しさに堪えないで歩いてる人もあろう、こもってる人もあろう。一家和楽の庭には秋のあわれなどいうことは問題にならない。兄の生まじめな話が一くさり済むと、満蔵が腑抜けな話をして一笑い笑わせる。話はまたお・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・ずどん云う大砲の音を初めて聴いた時は、こおうてこおうて堪らんのやけど、度重なれば、神経が鈍になると云うか、過敏となるて云うか、それが聴えんと、寂しうて、寂しうてならん。敵は五六千メートルも隔ってるのに、目の前へでも来とる様に見えて、大砲の弾・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・と下等な遊びを自白して淋しそうに笑った事があった。その頃緑雨の艶聞がしばしば噂された。以前の緑雨なら艶聞の伝わる人を冷笑して、あの先生もとうとう恋の奴となりました、などと澄ました顔をしたもんだが、その頃の緑雨は安価な艶聞を得意らしく自分から・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・ 読んで見て、如何にも気持がよく出て居て、巧みに描き出してあると思う作品は沢山あるけれども、粛然として覚えず襟を正し、寂しみを感じさせるような作品は極めて少ないように思う。 併し古い例であるが、故独歩の作品中のある物の如きは、読んで・・・ 小川未明 「動く絵と新しき夢幻」
・・・とはまあどうでもいいとして、この後もやっぱりこれまで通り付き合っちゃくれるだろうね?」「なぜ? 当り前じゃないかね?」「だって、亭主がありゃ、もう野郎の友達なんざ要らねえかと思ってさ」と寂しい薄笑いをする。「はばかりさま! そん・・・ 小栗風葉 「深川女房」
出典:青空文庫