・・・ここから見渡すことのできる一面の土地は、丈け高い熊笹と雑草の生い茂った密林でした。それが私の父がこの土地の貸し下げを北海道庁から受けた当時のこの辺のありさまだったのです。食料品はもとよりすべての物資は東倶知安から馬の背で運んで来ねばならぬ交・・・ 有島武郎 「小作人への告別」
・・・試みに、食堂のなかを覗くと、奉仕の品品の饗応にあずかっている大学生たちの黒い密林のなかを白いエプロンかけた給仕の少女たちが、くぐりぬけすりぬけしてひらひら舞い飛んでいるのである。ああ、天井には万国旗。 大学の地下に匂う青い花、こそばゆい・・・ 太宰治 「逆行」
・・・ 邸宅の後ろは常磐木の密林へ塀一つで、庭の続きになっていた。前は、秋になると、大倉庫五棟に入り切れないほどの、小作米になる青田に向っていた。 邸後の森からは、小川が一度邸内の泉水を潜って、前の田へと灑がれていた。 消防組の赤い半・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・小松の密林。「釜淵だら俺ぁ前になんぼがえりも見だ。それでも今日も来た。」うしろで云っている。あの顔の赤い、そしていつでも少し眼が血走ってどうかすると泣いているように見える、あの生徒だ。五内川でもないし、何と云ったかな。けれどもそ・・・ 宮沢賢治 「台川」
・・・それはマグノリアの木にもあらわれ、けわしい峯のつめたい巌にもあらわれ、谷の暗い密林もこの河がずうっと流れて行って氾濫をするあたりの度々の革命や饑饉や疫病やみんな覚者の善です。けれどもここではマグノリアの木が覚者の善でまた私どもの善です。」・・・ 宮沢賢治 「マグノリアの木」
・・・地平線まで密林が伐採されている。高圧線のヤグラが一定の間隔をおいてかなたへ。――いそいでもう一方を見たら、電線は鉄道線路を越えて、再びヒンデンブルグの前髪のような黒い密林のかなたへ遠くツグミの群がとび立った。今シベリアを寂しい曠野と誰が云う・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・その欲望につき動かされて、わが心、ひとの心、それらの心を生む社会の密林にわけ入るのだが、今日の私たちは、少くとも、自分の諸経験を、社会現象の一つとして感じうるだけの能力は備えている。どうしてこうも辛苦であろう、とつきつめた思いは私たちに、ど・・・ 宮本百合子 「作家の経験」
・・・ロシアのように広大な国土のところでは、一口にロシアの詩人、作家といっても、黒海沿岸、南露の詩人の気質・表現と、半年雪に埋もれ原始密林を眺めているシベリア地方生れの詩人、作家の気質・表現とは、その扱う題材がちがうように、著しい相異がある。・・・ 宮本百合子 「自然描写における社会性について」
・・・ この大部な第一巻だけを見ても、内容の精密さ、遺漏なきを期せられている周到さがはっきりわかるのであるが、同時に、頁毎にくりひろげられるこの偉大な人間及芸術家の生活現象に密林はおそろしいほど鬱蒼としているものだから、そのディテールの中で迷・・・ 宮本百合子 「『トルストーイ伝』」
・・・早春そこを通ったので雪解の河原、その河原に茂っている多分河楊だろう細かく春浅い枝をひろげた灌木、山又山とほんのり芽ぐみつつまだ冬枯れの密林が連った光景、そこへそのような屋根を点々と、如何にも山村浅春の趣が深かった。葉をふるい落した樹木の線の・・・ 宮本百合子 「夏遠き山」
出典:青空文庫