・・・伏木から汽船に乗りますと、富山の岩瀬、四日市、魚津、泊となって、それから糸魚川、関、親不知、五智を通って、直江津へ出るのであります。 小宮山はその日、富山を朝立、この泊の町に着いたのは、午後三時半頃。繁昌な処と申しながら、街道が一条海に・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・六、七歳頃から『八犬伝』の挿絵を反覆して犬士の名ぐらいは義経・弁慶・亀井・片岡・伊勢・駿河と共に諳んじていた。富山の奥で五人の大の男を手玉に取った九歳の親兵衛の名は桃太郎や金太郎よりも熟していた。したがってホントウに通して読んだのは十二、三・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・おしかは早速、富山の売薬を出してきた。 清三の熱は下らなかった。のみならず、ぐん/\上ってきた。腸チブスだったのである。 彼女は息子を隔離病舎へやりたくなかった。そこへ行くともう生きて帰れないものゝように思われるからだった。再三医者・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・越中富山の万金丹でも、熊の胃でも、三光丸でも五光丸でも、ぐっと奥歯に噛みしめて苦いが男、微笑、うたを唄えよ。私の私のスウィートピイちゃん。あら、あたし、いけない女? ほらふきだとさ、・・・ 太宰治 「HUMAN LOST」
・・・の芝居で柳永二郎の富山がお宮の母と貫一の絶縁条件を値踏みしなが「二万円もやりぁいいでしょう」と云ったあの舞台面は多分ここをモデルにしたものらしいと思われた。 箱根ホテルでは勘定をもって来てくれと四、五度も頼んで待ち草臥れた頃にやっと持っ・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
・・・ 腰と首根と手足の附け根に、富山の打ち身の薬が小汚くはりつけてあった。 一月ほど立って手は上る様になったが指先が利かなかった。 三度の食事の度んび、栄蔵はじれて涙をこぼしたり怒鳴ったりした。 栄蔵の体はいつとはなし衰弱して来・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・ 自分たちは直接海へのり出して行かないで、その結果だけ待っていて家計をやりくってゆく漁村の女の暮しが楽でないことは、大正八年に米の価が途方もなくあがったとき第一番にそれに反対したのが富山県の漁夫のおかみさん達であったことからも判断出来る・・・ 宮本百合子 「漁村の婦人の生活」
・・・そこから加賀街道に転じて、越中国に入って、富山に三日いた。この辺は凶年の影響を蒙ることが甚しくて、一行は麦に芋大根を切り交ぜた飯を食って、農家の土間に筵を敷いて寝た。飛騨国では高山に二日、美濃国では金山に一日いて、木曽路を太田に出た。尾張国・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・書肆富山房も誠意がないではなかったが、買った本は誰が買ったか分からぬので、正誤表の送りようがないと云うことであった。帝国劇場で第一部の興行のあった時、第一部の正誤表は出来ていたので、富山房はそれを劇場で配布しようかとも云った。しかし私は本を・・・ 森鴎外 「不苦心談」
・・・ 右のファウスト考とファウスト作者伝とは訳本ファウストと同じ体裁にして訳本を発行した富山房から発行して貰うように、私は要求して置いた。これはまだ実行はせられぬが、多分そうなる事だろうと思う。この二つの本が出ると、外の訳書の初や終に書き添・・・ 森鴎外 「訳本ファウストについて」
出典:青空文庫