・・・ 馴れぬ風土の寒風はひとしおさすらいの身に沁み渡り、うたた脾肉の歎に耐えないのであったが、これも身から出た錆と思えば、落魄の身の誰を怨まん者もなく、南京虫と虱に悩まされ、濁酒と唐辛子を舐めずりながら、温突から温突へと放浪した。 しか・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・見世物小屋から飛び出して、寒風に吹きまくられ、よろめきながら湯村の村はずれの郵便局にたどりつく。肩で烈しく息をしながら、電文をしたためた。 サンショウミツケタ」テンポウカン」ヨドエムラノヤツ」ユムラニテ 何が何やらわからない電文にな・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・申しおくれましたが、当時の僕の住いは、東京駅、八重洲口附近の焼けビルを、アパート風に改造したその二階の一部屋で、終戦後はじめての冬の寒風は、その化け物屋敷みたいなアパートの廊下をへんな声を挙げて走り狂い、今夜もまたあそこへ帰って寝るのかと思・・・ 太宰治 「女類」
・・・半病人の家の者が、白いガーゼのマスクを掛けて、下の男の子を背負い、寒風に吹きさらされて、お米の配給の列の中に立っていたのだ。家の者は、私に気づかぬ振りをしていたが、その傍に立っている上の女の子は、私を見つけた。女の子は、母の真似をして、小さ・・・ 太宰治 「父」
・・・私は、この本一冊のために、身の置きどころを失い、たえず自尊心を傷けられて世のなかの寒風に吹きまくられ、そうして、うろうろ歩きまわっていた。数万円の金銭を浪費した。長兄の苦労のほどに頭さがる。舌を焼き、胸を焦がし、わが身を、とうてい恢復できぬ・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・これは南から来る暖かい風がこの境界線から地面を離れて中層へあがりその下へ北から来る寒風がもぐり込んでいるのだという事は、当時各地で飛揚した測風気球の観測からも確かめられている。そのために中層へは南方から暖かい空気が舌を出したような形になって・・・ 寺田寅彦 「凍雨と雨氷」
・・・一団、一団となって青い房のように、麦の芽は、野づらをわたる寒風のなかに、溌溂と春さきの気品を見せていた。「こらァ、豪気だぞい」 善ニョムさんは、充分に肥料のきいた麦の芽を見て満足だった。腰から煙草入れをとり出すと一服点けて吸いこんだ・・・ 徳永直 「麦の芽」
出典:青空文庫