・・・だらけのだらしのない弟子たちに対して、真の慈父のような寛容をもって臨み、そうしてどこまでも懇切にめんどうを見てやるのに少しも骨身を惜しまれなかったように見える。自分がだらしがなくて、人には正確を要求する十人並みの人間のすることとは全く反対で・・・ 寺田寅彦 「田丸先生の追憶」
・・・読者の寛容を祈る外はない。 中学校の五年で『徒然草』を教わった後に高等学校でもう一度同じものを繰返して教わったので比較的によく頭に沁み込んでいると見える。その後ほとんどこの本を読み返したような記憶がなく、昔読んだ本もとうの昔に郷・・・ 寺田寅彦 「徒然草の鑑賞」
・・・しかし子供のような心で門下に集まる若い者には、あらゆる弱点や罪過に対して常に慈父の寛容をもって臨まれた。そのかわり社交的技巧の底にかくれた敵意や打算に対してかなりに敏感であったことは先生の作品を見てもわかるのである。「虞美人草」を書いて・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・ 思うままを備忘までに書いてみた、名前を挙げた画家達に礼を失するような事がありはしないかと思うが、素人の妄言として寛容を祈る。 寺田寅彦 「二科会その他」
・・・ 世人は自分勝手に自分らの東郷さんの鋳型をこしらえて、そうして理が非でもその型にはまることを要求した。寛容な東郷大将はそうした大衆の期待を裏切って失望させては気の毒だと思って、かなりそのために気をつかっておられたのではないかという気もす・・・ 寺田寅彦 「藤棚の陰から」
・・・ レビュー見学のノートから脱線してつい平生胸に溜まっていた教科書の不平をこぼしてしまったが、こういう脱線もまた一つのレビュー的随感録の一様式中の一景として読者の寛容を願いたいと思う。 政府の統制の下に組織された教育のプログラムがレビ・・・ 寺田寅彦 「マーカス・ショーとレビュー式教育」
・・・今の人は正直で自分を偽らずに現わす、こういう風で寛容的精神が発達して来た。しこうして社会もまたこれを容れて来たのであります。昔は一遍社会から葬られた者は、容易に恢復する事が出来なかったが、今日では人の噂も七十五日という如く寛大となったのであ・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・こうすれば雑誌の編輯者とか購買者とかにはまるで影響を及ぼさずに、ただ雑誌を飾る作家だけが寛容ぐ利益のある事だから、一雑誌に載る小説の数がむやみに殖える気遣はない。尤も自分で書いて自分で雑誌を出す道楽な文士は多少増かも知れないが、それは実施の・・・ 夏目漱石 「文芸委員は何をするか」
・・・以上を総括して今後の日本人にはどう云う資格が最も望ましいかと判じてみると、実現のできる程度の理想を懐いて、ここに未来の隣人同胞との調和を求め、また従来の弱点を寛容する同情心を持して現在の個人に対する接触面の融合剤とするような心掛――これが大・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・娘に対して最も寛容でないのは、神の召使いである父親であった。 ある日、不幸な女主人公は、小さい赤ン坊をつれて動物園へ行っていた。そこで、偶然彼女の知り合いである同じ年ごろの女性とその愛人とに出会った。友達である女は、愛人に向って、自分た・・・ 宮本百合子 「傷だらけの足」
出典:青空文庫