・・・日曜の午後に谷中へ行ってみると寛永寺坂に地下鉄の停車場が出来たりしてだいぶ昔と様子がちがっている。昔の御院殿坂を捜して墓地の中を歩いているうちに鉄道線路へ出たがどもう見覚えがない。陸橋を渡るとそこらの家の表札は日暮里となっている。昨日の雨で・・・ 寺田寅彦 「子規自筆の根岸地図」
・・・ 四 脚は一八〇プロセントくらいに、眼と眼はうんとくっつけるか、思い切り開いて、さてこの腕をどうやろう。寛永寺の鴉より近い処にビッシェール、ロート。顔のここらへちょっと一刷毛、どうですこの色は新しいね。トラヽ・・・ 寺田寅彦 「二科狂想行進曲」
・・・明治時代の都人は寛永寺の焼跡なる上野公園を以て春花秋月四時の風光を賞する勝地となし、或時はここに外国の貴賓を迎えて之を接待し、又折ある毎に勧業博覧会及其他の集会をここに開催した。此の風習は伝えられて昭和の今日に及んでいる。公園は之がために年・・・ 永井荷風 「上野」
・・・滅びた江戸時代には芝の増上寺、上野の寛永寺と相対して大江戸の三霊山と仰がれたあの伝通院である。 伝通院の古刹は地勢から見ても小石川という高台の絶頂でありまた中心点であろう。小石川の高台はその源を関口の滝に発する江戸川に南側の麓を洗わせ、・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・また、寛永寺の傍の、考えても見すぼらしい家を、探しあきて定めようとしたことなどもある。 丁度、その頃赤門の近くに、貸家を世話する商売人があったので、そこへ行って頼んだ。三十円位で、ガスと水道のある、なるたけ本郷区内という注文をしたのであ・・・ 宮本百合子 「思い出すこと」
出典:青空文庫